等々力で獣が暴れる!? 川崎新加入のバフェティンビ・ゴミスとは
移籍情報で毎日噂だけでも相当な熱量をもたらしてくれている今日この頃ですが、特に音沙汰もないまま、急に舞い込んできたビッグニュースが日本国内で話題を集めました。
その話題を集めたのが、この度川崎フロンターレに新しく加入することとなった、元フランス代表のバフェティンビ・ゴミスです。
欧州のフットボールがお好きな方はもちろん、アルヒラル在籍時にはACLでも活躍していたためJサポ界隈でもわりと知名度の高い人物ではないかと存じます。
今回はそんなゴミスの特徴や生い立ち、逸話も含めてお届けします。
生まれは南仏の港町
セネガル🇸🇳出身の両親のもと、ゴミスが誕生したのは南仏のラ・セーヌ=シュル=メールという港町です。この町の隣にあたるのが、U23のサッカー国際大会が毎年開催されているトゥーロンです。
9歳の時に地元クラブのスポルティング・トゥーロンに入団し、2000年15歳のときにASサンテティエンヌにスカウトされアカデミーに入団しました。
迎えた2004年1月18日、当時はリーグドゥ(フランス2部)所属のトップチームでデビューを果たしました。デビュー戦となったロリアン戦は黒星を喫してしまいましたが、2試合目となった1月31日のUSクレテイユ・リュジタノス戦でプロ初ゴールを記録し、3-2の勝利に貢献。同シーズン、チームはリーグドゥのチャンピオンになりリーグアンに昇格しました。
リーグアンに復帰した04/05シーズンの前半戦は全く出場機会がなく、半年間トロワにレンタルされますが、戻った05/06シーズンから徐々に出番を増やし始め、2007年1月に主力選手の退団に伴いレギュラーの座を完全に掴み取りました。
前シーズンの最終節マルセイユ戦に出場できなかった腹いせからチームと別行動をとる時期もありましたが、結局チームに残り自身はリーグ3位タイとなる16得点、チームは5位でUEFAカップ(現ヨーロッパリーグ)出場権を勝ち取りました。カップ戦の影響もあってか、翌シーズンはカップ戦はベスト16まで駒を進めましたが、チームは最後まで残留争いに絡んでいました。
2009年には最大のライバルクラブであるリヨンに移籍し、かなりの注目を集めました。このシーズンはリーグ戦で10得点、CLで4得点、翌シーズンも同じくリーグ戦で10得点、CLで2得点というまずまずの結果を残しましたがライバルクラブからの移籍ということでリヨネからは簡単には受け入れられませんでした。
しかし11/12シーズンに転機が訪れます。新監督レミ・ガルドのもとで野心を取り戻し、CLディナモ・ザグレブ戦では史上7番目となる1試合4得点を記録し、44〜70分の間という記録は史上最速の記録でした。その調子を維持し、同シーズンは公式戦25ゴール、後2年は共に22ゴールで名声を取り戻しました。
名を高めたことでプレミアリーグ🏴のスウォンジーへと移籍を果たします。しかしこの冒険はわずか2年で終わることとなり、1年目はCFのポジションを奪い切れず、慢性の病気も発症したり、2年目は出場機会に恵まれず、2年間で71試合17ゴールという結果に終わりました。
仏内ではキャリア最高のシーズンと評されるのが2016年7月にレンタル移籍したマルセイユ。フルシーズンでレギュラーを務め、34試合20ゴールという記録を残しました。しかしそれ以上に問題なのがマルセイユはリヨンともサンテティエンヌともライバル関係であり、身近で例えると東京ヴェルディと町田ゼルビアとFC東京に転々とするような関係性です。(うまく伝われ😅)
マルセイユ移籍には買取OPがなく、戻り先のスウォンジーも2部に低迷していたため、2017年6月次なる移籍先に選んだのはトルコのガラタサライでした。すぐさまフィットし、結果的にはリーグ戦29ゴールで初の得点王のタイトルと共にチームに優勝をもたらしました。しかしガラタサライとは3年契約を結んでいたにも関わらず1年で退団することに。
次なる渡航先はサウジアラビアのアルヒラル。1年目は公式戦37ゴールを挙げて得点王になるもリーグ準優勝に終わりますが、2年目はACLで決勝に進出し、日本の浦和レッズとの決勝戦セカンドレグでも得点を決め、アジア制覇に貢献しました。ちなみにフランス人がACL制覇することは史上初の出来事でした。
2019年はクラブW杯にも出場し、翌年以降も活躍しアルヒラル在籍計4年間で公式戦153試合116ゴールという破格の記録を残しました。
2022年2月にアルヒラルと契約解除して再びガラタサライに復帰することになりました。ゴミス自身はリーグ戦14試合9ゴールという良いハーフシーズンを送ることができましたが、チームは13位というクラブワースト順位に。翌年は新加入のセフェロヴィッチとイカルディの牙城を崩せぬまま公式戦28試合10ゴールという記録を残しました。
2001年にU17で1試合のみの出場記録だったフランス代表は2007年にA代表に初招集され同時にセネガル代表のオファーを断りました。2008年5月に初キャップで2得点を決めました。
レイモン・ドメネク、ローラン・ブラン、ディディエ・デシャンとフランス代表3政権に定期的に召集されていましたが、2012年を境に呼ばれることはなくなりました。
あのゴールパフォーマンスの由来は??
ゴミスを象徴するのがあの独特なゴールパフォーマンス。恐竜ともライオンとも言われているこのパフォーマンスですが、実はゴミスが発祥ではないのです。
ゴミスが真似ているのは元サンテティエンヌのアタッカー、アレックス・ディアスのゴールパフォーマンスです。アレックスはサンテティエンヌのレジェンドであるサリフ・ケイタが大好きで、ケイタの愛称「パンサー」をなぞらえてのゴールパフォーマンスが誕生しました。
おそらくゴミス自身もアレックスが大好きで、彼を尊敬してのパフォーマンスがあまりにも子供を泣かすようなクオリティのものが出来上がったためにゴミス特有のものへとなりました。
最初にアレックスがパンサーを準えたパフォーマンスをしたこととサリフ・ケイタに敬意を表してサンテティエンヌのマスコットはパンサーになっています。(昔はロゴにもパンサー)
ですから、ライオンパフォーマンスではなく、「パンサーパフォーマンス🐆」と表すのが一番です。当の本人も本質が分かっているかは不明ですが😅
ゴミスのプレースタイルについて
現在ゴミスについてこんなにも情報が拡散されているのを見るとやはりそれだけの名誉がある素晴らしい選手であることを改めて感じさせてくれました。
そんな彼のプレースタイルですが、早くも多くの方に分析されていて、皆さんさすがだなと感じました🙌
この通り、CFとして単にゴール前に構えるのではなく、割とサイドに流れて足元で受けたり、ダイナミックに反転して強引にシュートを打ったりと華やかさには欠けますが、俊敏性やしなやかさには魅力を感じます。
怪我でチームを離れ、移籍の噂もあるレアンドロ・ダミアンがいない現状を踏まえればゴミスがもたらしてくれるものは色々あるかと思います。
ゴミスと川崎のこれから
パフォーマンスでは怖い顔を見せるゴミスですが、本性は全く異なり、かわいい笑顔から察することができるようにかなり人柄に優れている人物です。
38歳という年齢がネックにも感じますが、先述の通り、どんなクラブでも一定の結果をもたらしてきた人物です。結果を残し続けているところを踏まえるとまだコンディション的にはあまり落ちていないようにも感じます。
あまり書きたくないのですが、彼にはある事情があることをご理解ください。(飛ばし推奨)
近年に比べれば思うような成績を残せていない川崎フロンターレですが、やっているサッカーをちょくちょく見ればそんなに心配するほどでもないという風に私は感じます。今後このゴミスの加入が川崎にとっても、リーグにとっても、良い効果が出ることを期待します。
ご覧いただきありがとうございました
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