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書くには勇気が要る。

noteを始めようとして、
一本めの記事を投稿するまでに何ヶ月もかかった。

名前と説明を書こうとして、もう、そこで手が止まった。
どうしてかというと、自分の生まれ育ちを、今置かれている状況を、自分自身が本当には許せていないからなんだろう。
受け入れてないからなんだろう。
ありのままを書くのが怖い。匿名にしてありのままを書いたとしても、批判されそうで怖い。
だからと言って、じゃあ、やらなきゃいいじゃん、とは思えない。
書きたい。
一人でもいい、誰かに読んでほしい。
このメンタリティ。
50代なのに、いまだ、幼児願望に浸っているんじゃないかと思う。


実家の家業は医院だった。父はかなり仕事に打ち込んでいた。20代から70代まで形を変えながら。医療の仕事は彼のアイデンティティ的な位置付けではあったんじゃないだろうか。母の方は内助の功的に父の仕事をサポートしていたが、父の医院が開業をして17〜18年くらいの頃だったか、脳出血で倒れて以来、亡くなるまで生きる屍のような療養生活を送った。
病院経営というのは、入ってくる額も多いが、出て行く額も多い。お金がないお金がないというのが父の口癖だった。何か琴線に触れることがあると、誰がこんなに寝る間も惜しんで働いてお前たちを食わしているんだと思う!とよく大声で怒鳴った。人生の中に仕事があったというより、仕事の中にすっぽり人生が入っているようだった。特に、晩年になればなるほど。
医療に対して素晴らしい信念を持って仕事をした人だったし、その業界で一種のカリスマのようになったが、脳梗塞で倒れてからは、彼の口から出てくる言葉は、「お金」と「お母さん」だった。
生真面目で、ちょっと「武士」気取りだった父は、高度成長期の医者の家でふつうにやっていただろう税金対策などを卑怯なことだと口汚く罵った。働いた分だけのお金をいただくのが美しい生き方なのだというような。そうやってこの大所帯を支えている自分の才覚や感性や体力を誇っていたと思う。資産運用なんていうことは全て下卑たこと、節税対策をせずに税金を払うべきという信条だったので、一生懸命がんばった割に、収入は一般的な産婦人科開業医よりは少ないと金庫番のおじさんはいつも言っていた。とはいえ、裕福な家の部類に入っていたと思う。

そんな家の一人っ子としてわたしは生まれ育った。幼少期は、看護師さんやスタッフさんたちに可愛がってもらった記憶が残っている。
そうしてチヤホヤ可愛がられて育った上に、わたしはお金の不自由をしたことがない。まず一番に、このお金に不自由したことがないというこのことを人にいうのが怖くてたまらなかった。お金の不自由を経験したことがないなんてバチ当たりだとずっとずっと思い、お金に不自由がなかったことを直視するのも辛くて、自分の中でぼやかして生きてきた。お金の苦労、生活の心配をしないでよかったことに感謝していたらよかったものを、ダメ人間の証だと信じ込んできた。どのようにでもして、お金の苦労をしてみなくちゃ、わたしはこのままなんともならないんだ・・誰かが言ったのか、どこかで聞いたのか、ふとすると、いつもそういう声が頭のなかで聞こえていた。

わたしの悩みは、親子関係だった。人生に問題を抱える人にとって、親子関係の問題は今現在抱えている問題を作り出している大元のタネで、それは3歳くらいまでの幼児期に経験したことに端を発しているとよく言われていると思う。心理学や精神世界や自己啓発の先生方から、そこに絶対にタネやヒントがあるから、そこに手をつけるべきだと教わってきた。その考え方にはとても納得できたから、そこは掘り下げてきたのだけれども、いまだに、これだ、という記憶を見つけれられていない。就学前の自分が感じたことを全く思い出せないままでいる。これまでで思いだした一番若い年齢の辛い思い出は、小学校1〜2年生にあったことで、それは親との間ではなく、女性の担任の先生との間のことだった。そこは何度も何度も掘り下げて、捉え直して、痛みを感じることは無くなったと思うのだけれども、根本的な物事の捉え方や思考回路が大きく変わったか、選択の仕方が変わったか、というと、あまり自覚ができない。

自分の自信のなさや悲しみや怒りの元を辿っていくと、いつも父の顔色を伺っていた記憶が出てくる。地雷を踏まないように、逆鱗に触れないように、息を潜めて、足音を忍ばせている感覚。わたしの存在を彼に悟られないように‥というくらい、息を殺している感覚だった。それは幼少期のことではなくて、10代後半以降、2017年に彼が亡くなるまでずっと持っていた感覚だった。
もう一つ、いつも自分を苛んでいた思いは、わたしは父親が望む状態の人間像に当てはまらないんだということだった。だから、そんなにしてまで、存在を消していたほうがいいと思っていたのか‥。彼の目線は冷ややかで、いつも批判的に感じた。信頼してもらえないのは、わたしがそれに当てはまる人間じゃないからだと思った。それは、20代半ばから、やはりこれも彼が亡くなるまであった感覚だった。

30代のはじめころ、精神世界についての講演会で、目には見えない意識の方が大元にあり、目に見える現実世界は意識のありようが映し出された結果で、実体のないものなのだ、という考え方に出会った。始終自分を否定して、息を殺していたわたしは、自分の意識を変えるということなら、わたしにもできるかもしれないと思った。父に、面と向かって自分の言いたいことをいう勇気も、否定されても言い続ける粘り強さも、家を飛び出して自活してでも自分のしたいことをしようという意欲もなかった自分だった。
それ以降も精神世界の学びや自己啓発のセミナー、心理技術のメソッドにいくつか出会った。新しいものに出会うたび、これこそが活路だと信じて、通い詰めて、メソッドや導きに従って自分自身の内面を何度も何度も掘り下げた。何十年とそんなことをやってきて、「望んだ結果」というものが出たかと言えば、殆どが出なかった。掘り下げて、これが根っこだったんだ!と愕然としたり、ハッとしたり、衝撃のようなものを感じたことはあったけれど、決め手に欠けていた。

今、気づいたのは、「望んだ結果」とはなんだったのか。それすらはっきりしていなかった。どこに向かいたいのか、はっきりわからないまま、このまま手探りでも進んで行けばいつか満足できる状態になれる・・これってまさに、白馬の王子様を待つ心境と同じ。シンデレラ症候群そのもの。シンデレラ症候群というものを知ったのはもう10年くらいは前だったが、その時、自分もそうなんだとは本当には気づいていなく、他人事のように捉えていたと思う。
そんなテキトーな状態で、セミナーや講座やセッションに大金を払ってきた。それでも結局・・なんともならなかったと思っている。40年も50年もいつかなんとかなると、あやふやな期待に埋没していた。

自分のありのままを見るのがものすごく怖かった。自分の弱さ、ダメさを知りたくなかった。幼い頃、お姫様のように可愛がってもらったこのわたしに、アカンところ、ダメなところ、があるなんてとても思いたくなかったからなんじゃないか。
今、そう思った。
まさにそれは、ありのままの自分に向き合ってこなかったということで、幼児願望を放置したまま、体だけ大人になり、歳をとった。自分で育てる以外きっと育てようがない、育ちようがない自分の脳、思考回路というものを、3歳までの幼児のまま放置して、育ててこなかったんだ。


2021年7月、 YouTubeで「坂庭鳳」という人の動画(※)を見た。夫が彼の動画を見ていて、その後ろから、見るともなしに、見ていた。
その人は、少し神経質そうな顔をしかめっつらにして何度も少し大きな声で連呼していた。
「自分に問いかけるだけ!!」

わたしは、自分自身にどれだけ向き合ってこなかったのかと。
そもそも、自分に向き合うとはどういうことなのか。
全くわかってなかった。
何より自分を知りたかったのに。
向き合い方を教わっても、向き合えていなかった。

「自分に問いかけるだけ!!」に出会った時、
何十年もかけて散々遠回りをして、心底、自分の向き合えていなさ加減を思い知った。
同時に、自分に向き合うことがどんなにパワフルかということも。

そこに至るまで、精神世界や自己啓発、心理技術のメソッドなどに大金を費やした。親から支払われた給料を、貯めてきたお金を、親から受け継いだお金を。しめて、4千万近く、そこに注ぎ込んだ。
わたしは、お嬢さん育ちの、イイ鴨だったんだ。きっと。

これを書くのが心底怖かった。
書かなくったって、誰も気にしないし、世の中になんの影響もないこと。
書きたくないのなら書かなくっていいのに、
書けない自分が嫌だった。納得できなかった。悲しかった。

「できる自分」じゃないからか・・
違うと思う。
昔は、確かに、そういうメンタリティがあったけれど。

そうじゃなくて、
自分が、その時は、そうだと信じて、自分なりに考え抜いて、思い切って、やったことが、たとえ後で失敗だったと思ったとしても、騙されていただけだとしても、本当に失敗だったとしても、人に言えないような、バチ当たりなような、恥ずべきことのような、隠しておかなきゃダメなような、そんな自分を貶めるような、誤魔化すような、捉え方でいたら、それこそ、ここからもっともっと、自分を信じられなくなる。
もうこれ以上、自分を信じられなくなりたくない。

坂庭さんの動画でやっと気づいた「自分に問いかけること」。

それを、「自分に向き合うこと」と捉えていたけれど、
ここまで書いてきて気がついたのは、
「自分に問いかけること」=「自分に向き合うこと」、
それはイコール、「ありのままの自分に向き合うこと」だった。


※文中の坂庭鳳氏のYouTube動画URL、貼っておきますね。
「思い込みに気づく具体的な問いかけ方」
https://youtu.be/c3jFNbILoDw?si=17gopAEXRBJzcKVK

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