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「はたらく」と自己実現のあいだ

今のKacotamという活動を開始してから、もうすぐ9年が経つ。最初は、お菓子の卸会社に勤めながら、休日や仕事終わりに活動していた。

その頃、Kacotamという活動は趣味であり、ライフワークであり、興味のあるものでもあり、会社ではたらくことは、お金を得るもの、学ぶところであった。

はたらくことは、自己実現という、自分のなかに明確になっていたり、もやっとしていたりして、でも無意識・意識的にありたいと思っているもの、それを構成する一部だと思う。

生活を送るなかで、自己実現という砂場に自分がつくりたいと思っているものを作ろうと、日々色々な砂を積み上げていく。仕事や子育て、勉強、趣味、ライフワークなどを通して、色々な砂をそれぞれがそれぞれの割合でありたい姿に近づこうと日々積み重ねていく。その一部にはたらくというものがあると思う。自分は、自己実現における「はたらく」を占める割合は大きいかもしれない。というよりも、今は他のものと同じような色をしていると言った方が良いかもしれない。

会社ではたらきながら活動していく日々を送るなかで、やりたいことに近づくためには、このままの砂の割合や色ではできないのではないかと思い始めて、会社を辞めた。それからKacotamという活動が仕事となった。自分の中では、Kacotam=やりたいこと=興味があること=はたらくとなった。会社に勤めていたときの「はたらく」とは感覚的に明らかに異なり、「やりたい」の色に大部分を染められた「はたらく」

それは、単純に「やりたいことを仕事にする」という意味ではなかった。最初はそう思っていたけれど、そこには「やりたいこと」、「働き方」、「大事にしている価値観」が重なった「はたらく」が成立していた。

それぞれにある自己実現。それを構成するものも、色も人それぞれ。同じ「仕事」でも色が違う。すでにある仕事を選択する人もいれば、自分にできることを仕事にかえていく人、やりたいことが結果として外部の人にとっては仕事となることもある。その方法によって「はたらく」の色も変わってくる。現在いる職員やこれから加わるであろうパート職員(現在募集中)でさえ、それぞれ違うと思う。

「あなたにとっての自己実現というのは、具体的にどのようなものですか?」と聞かれても答えられないけど、今の自分の中にある感覚は、会社に勤めていたときの積み上げてはさらさらとこぼれ落ちていく感覚ではない、着実に積み重なっている感覚と色づきがある気がしている。




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