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自己紹介します。

こんにちは。
毎日更新13日目です。
今日もなんとか続いています。あと何日続けられるのか。
一年くらいは続けたいよなと思ってはいますが、あまり自信のない僕です。

今日は、このnoteの記事に自己紹介をちゃんと書いておいて、これを読んでくれれば、これまでのこと、やってることを伝えられるように残しておきたいと思います。
では、少し長くなりますがどうぞ。

初めまして、後藤堅太郎です。

焼そば専門店の二代目として勉強中の37歳です。
焼そば専門店は両親が、33年前にフランチャイズチェーンの1店舗として、
開業したお店で、九州の一部地域ではそこそこの認知度を得ている会社の独立系オーナーです。

1983年12月29日生
姉・兄・僕の三人兄弟の末っ子です。
姉とは六つ、兄とは五つ歳が離れていて、小さい頃は兄と兄の友達の後ろを着いて回り、鬱陶しがられていたのをなんとなく覚えています。

小中学とバスケをしていました。たいして上手くはなれませんでしたが、下手なりに楽しくやっていました。中学では2年生になると部活に飽きて、スケボー少年へ転向しました。不良っぽくて「KIDS」という映画に影響を受けたり、かっこいい先輩たちに憧れました。何が気に食わなかったのか、世の中に対して唾を吐いていました。厨二病というやつですけど何か。

高校生になると、夜の親富孝通りへと毎週末遊びに行くようになりました。
お金は持ってないので、クラブに出入りする訳でもなく、何をする訳でもなく、ただ座り込んで話をするだけでたまらなく楽しかった。
その頃の親富孝通りは最後のブームだったと思います。必ず誰か友達に会えたし、先輩に可愛がってもらえました。ここでいろんなことを教えてもらいました。

フリーターも悪くない

高校卒業後はろくに定職につかず、フリーターとして自由気ままに遊び呆けては、数年間を過ごしました。この頃は焼き鳥屋とピザ屋とレンタルビデオショップでのアルバイトでそこそこ稼ぐことができていました。
特に深夜のレンタルビデオショップでのアルバイトは本当に楽しくて、返却業務と掃除を終えた後は、毎日3本くらい映画を観ていました。お客さんにもその時の気分と、感情を聞いて「これは?」と思うものを3本くらいは直ぐに提案できる知識を身につけることができました。
その時の経験でジャンルごとに好きな映画ができました。
それはまた別の記事に書きたいと思います。
#好きな映画

デザインを学ぶ

24歳になり、デザインのことを学びたいと思い専門学校へ通い始めます。
そこでは技術的なことよりも、今で言う「デザイン思考」つまり、さまざまな問題を美しく芸術的な感性で解くことで、広く影響を与える考え方だったり、方法を学びました。ここでの経験と学びは僕の中に今でも深く影響していて、「考える」ことが何よりも重要だというスタンスだったり、答えを出すために必要な情報の扱い方だったり、バランス感覚だったり、僕自身が惹かれるモノやコトの種類だったり、観察と洞察の重要性だったり、本質を見抜く力だったり。
そのきっかけを作ってくれました。デッサンの時間は好きだったけど、難しくて思うように描けなくて悔しかった。
コンテストで賞をいただくことにも恵まれて、自分の表現が誰かに届いたときの嬉しさも学びました。
 ※第15回学生CGコンテスト優秀賞
その時の先生方とは今でも交流があり、35を超えた今でも学びを与えてくれるいい出会いとなりました。

小さな広告制作会社でデザイナーになる

専門学校を卒業したのち、起業したての小さな小さな広告制作会社へスタートメンバーとしてお世話になることになりました。僕の能力は全然使い物にならなかったのですが、代表の営業力とアイデアとユーモアで、バシバシ仕事が決まっていました。小さな仕事は名刺作成からパンフレット、ウェブ制作、最終的には新卒採用の1から10まで全てを受け持ったりしていました。そこで発生するさまざまな販促ツールや制作物に関して、デザイナーでありながら、ヒアリングに始まり、企画からデザイン、プレゼンまで一貫して勉強させてもらっていました。
事務所にこもって0時を過ぎることもままありましたし、集中力が続かなかったり、アイデアが出ない時は街を散歩していろんなものを見たり、集めたりしながら自分の引き出しを少しづつ増やしていった期間でした。
ちゃんと社会に出て、お客さん(クライアント)が解決したいことはなんなのか、僕たちはどういう形で役に立てるのかを真剣に考えた日々でした。
徹底的に他者目線を持つと言うことを鍛えてもらいました。

農家への転身

そんな日々もあっという間に過ぎ去り、会社が解散することに。
さて、どうしようか。と考えたものの、答えはどこにもなく、いつからかぼんやりと気になりだしていた「農業」の道へ進んでみようかと、まずはつてを頼りに農家さんの手伝いをしながら、住み込みでその暮らし方と現実を体験してみることにしました。

ここでの経験は衝撃の連続で、朝の日差しも、昼寝も、焚き火の煙も、土の匂いも川の流れる音も、全てが新鮮で荒んだ心が解きほぐされていくような感覚だったのを覚えています。早朝から体を使って働くことの気持ちよさと、人として暮らすことの本質を垣間見る半年間でした。「足るを知る」
欲張ることなく、人が生きていくのに必要なものはもう足りていることを知って、「もっと、もっと」をやめた暮らしがこんなに心地よくて価値のあるものだと知ることができました。

農業者として生計を立てるには

ですが、事実農業者として家族を養うだけの生計を立てるにはきちんとしたビジネス感覚と、経営的な知識、そしてマーケットをみる能力が不可欠です。
半年の農家体験生活を終えた僕は、今一度事業としての「農業」を学ぶために
大分県由布市にある「佐藤自然農園-むかし野菜の邑」を訪ねました。
※ここでの生活と学びの記録は過去のブログにありますので、一度目を通していただけると幸いです。
  佐藤自然農園-むかし野菜の邑農業時代のブログ

ここは、完全なるオーガニックを貫き通しながら、さらに高い次元で土作りを行いながら、同時に事業としても成立させている数少ない農園でした。JR九州の観光列車『ななつ星』の料理にも採用されていたり、味も、実績もしっかりとした農園です。
詳しい農法や、考え方のことを書き出すと、軽く一本の記事になるので割愛します。上記のWEBサイトで確認してください。

ここでは、今年の4月まで約8年間どっぷりと農業漬けの日々を過ごしました。
土づくり、種の蒔き方、水のやり方に、成長に合わせた管理のしかた、道具の使い方、機械の操作、収穫の仕方、出荷作業、加工品作り、集客、販売、本当に全部のことを全部自分たちで行っていました。早朝から、日が暮れるまで汗をかいて土にまみれて、歯を食いしばって過ごしたこの日々も、どれだけたくさんのことを学ばせてもらったことでしょう。いちばんの収穫は、「これほどきつい仕事はこれからの人生で絶対にない」と確信できる経験ができたことでしょうか。
あの日々を思い出せば、何が来ても100%楽勝です。そう言える忍耐力と体力を手に入れることができました。

そしていま

そしていま、冒頭の『焼そば屋 想夫恋 宇美店』の後継として学び始め、この12月で研修期間が終了します。
2021年からは本格的に宇美店に帰り、両親と妻とともに店を盛り上げて行きいます。新しいことにもどんどんチャレンジしていきます。
仲間とお客さんと一緒に楽しい店を作っていきます。

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