三島由紀夫のライフワーク
初めに読むこと【noteに投稿する私の記事等の著作物の閲覧・引用及び利用・実践等の注意事項】(2023年5月25日更新)
❝ 天人五衰 ❞と云う言葉があります。三島由紀夫の長編小説『豊饒の海』の最終巻のタイトルで有名ですが、古くは『大般涅槃経十九』『正法念処経 巻二十三』『法句譬喩経』『瑜伽師地論』などの仏教 YOGA の聖典にも記述が認められます。
天人は欲界の最高位の境涯ですが、頭上華萎と身上光滅を除いて、加齢による心身の衰弱は人とほぼ同じです。ただ、人の人生の終わりに断末魔の苦しみがあるように、天人の命が尽きる時は地獄での苦しみの16倍を経験すると伝えられています。現代の人の世では、どんなに華麗な人生を謳歌していても、殆どが天災や事故、事件や争い事や生活苦に巻き込まれて死ぬか痾を得て病院で體中、管だらけになって死ぬ。そんな人間の終末の姿が唯物論の結論なのです。
「絶対者に到達することを夢みて、夢みて、夢みるけれども、それはロマンティークであって、そこに到達できない。その到達不可能なものが芸術であり、到達可能なものが行動であるというふうに考えると、ちゃんと文武両道にまとまるんです。(中略)あの作品では絶対的一回的人生というものを、一人一人の主人公はおくっていくんですよね。それが最終的には唯識論哲学の大きな相対主義の中に溶かしこまれてしまって、いずれもニルヴァーナ(涅槃)の中に入るという小説なんです。
図書新聞1970年12月12日、1971年1月1日号
古林尚との対談「三島由紀夫 最後の言葉」より
伝統 YOGA には考古学的に4500年とも、少なくとも3000年以上とも推測されている人類の叡智を結集した膨大な唯識論哲学のエビデンスがあります。対して、主にここ 0年~100年ほど前から考案されている新しい解剖学や美容法に基づく健康体操中心のオリジナル YOGA では、肉体を美しく維持することさえ効果が期待出来ないプログラムが一部流行っています。また、誰もが今すぐに、思いつきではじめられるYOGAでもあります。これらが今日(2023年現在)広く認知されて日本人が実践している YOGA の大雑把な二分類です。
オリジナル YOGA で仮に肉体を美しく維持する効果が期待出来たとしても、わずか数十年で肉体はいずれ朽ち果てて滅びる運命です。健康志向への世俗的な挑戦はどう転んでも負け戦なのです。しかし、伝統 YOGA でもまた、優秀な指導者(講師)の不足は深刻です。学びたい人は大勢いるのですが、本格的な伝統 YOGA を安心して実践していく人生を発見出来ずにいます。そして、世俗的な要求を事ある毎に主張し、エゴに翻弄されて、ある者は悲しみ、ある者は傷つき、ある者は恨み、ある者は病み、ある者は快楽を貪り続けるのです。こうして増上慢な人になっていきます。
たとえば、前出の三島の言葉を聞いて 「死んだら皆、直ちに ❝ 涅槃 ❞ 」などと思い込む方がいます。唯識論の土俵に立てば、「死んだら灰になって ❝ 無 ❞ になる」と思い込む方と同じくらい勉強不足です。これが伝統 YOGA を学んでいない者の現状なのです。三島は ❝ それが最終的には唯識論哲学の大きな相対主義の中に溶かしこまれてしまって ❞ と語っています。この ❝ 最終的 ❞ っていつですか? 伝統 YOGA を成就した時です。三島は 仏教 YOGA の ❝ 行動 ❞(実践)の話をしているのです。それが、絶対者に到達することを夢みて、夢みて、夢みる到達可能な行動です。到達不可能な芸術、絶対的一回的人生というもの、発展途上にある科学的な認識の話をしているのではありません。如何にして、苦しみの世界に沈む命たちを、悩みのない永遠に幸せな境涯(涅槃)へと導き入れるのかと云う 仏陀の YOGA の事業性(方便究竟)の話をしているのです。幾転生ものプロセスを経て伝統 YOGA を成就する行動の話を 芸術の仮面を着けて小説にしています。
◀戻る / 伝統YOGA芸術プロダクション へ
続き / 人を殺してはいけない理由 へ▶
© Japan copyright 2023.5.30 Traditional Yoga Art Production
クリエイターへの寄付と この記事の他の方へのオススメはここから ⤵