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「嫌われた監督 落合博満は中日をどう変えたのか」著者・鈴木忠平氏の「人間成長物語」

ありきたりの感想から始めます。「とても面白かった」です。読了した今、若き青春時代に感じた「爽快感」に満たされています。

本書は落合博満の物語ではありません。著者・鈴木忠平さんの「人間成長物語」なのです。

ページをめくるごとに、鈴木氏がもがき苦しみながら、記者として「上へ上へ」と目指す姿に胸が熱くなってくるのです。鈴木氏を「応援したく」なるのです。

本書がスマッシュヒットしている要因は、まさに鈴木氏の生き様が映画のスクリーンのように映し出されるからでしょう。

サクセスストーリーに於いて、主人公が不安、失敗、葛藤、挫折、挑戦、達成、成功、成就といった多くのプロセスを乗り越えて、最後の最後には「満面の笑み」を浮かべている結末に共感・共鳴を得るからです。

本書の巻末を読むにあたり、多くの人は涙腺決壊という事態になったのではないでしょうか。

「鈴木さん、良かったね」とか「苦しかったでしょう」などの労りと激励の言葉が出てきます。もっと端的に言うならば「落合という人間に潰されないで良かった」となるのでしょうか。

これは決して悪口ではありません。落合という人間は計り知れないほど大きな人間だと言うことでしょう。

著書にありましたが「理解不能」であり、「畏怖なる人間」なのです。

落合を取材する人たちは彼に対して、一歩も二歩を距離を置いて、言葉を慎重に選びながら接している様子が伝わってきます。

しかしながら、当の落合に至っては「シンプルな人間」だと思うのです。それは本書の福留選手とのやりとりで「一流のものはシンプルだ」と言うところから伝わってきます。

「落合がわからない」と頭を抱えるのは、落合の言葉や振る舞いを深読みしすぎて、自ら沼地に足を踏み入れているからでしょう。

本書には落合が無意識に仕掛けた“罠”が随所に盛り込まれており、著者・鈴木氏が陥った困惑をわたしたちも共有し、共に解決へ向かわせるのです。

昨今、流行りの企業小説などの人間関係に翻弄されながら、出世を果たすという物語が多いのですが、それらに辟易しているわたしにとっては本当に素晴らしい一冊となりました。

本書には敵とか味方などの争い事はありません。人を蹴落としてり、陰謀・策略、憎悪からの復讐も皆無です(もちろん、多少はあったでしょうが描かれていません)

コロナ禍で疲弊された人々の心に一閃の希望を降ろしてくれたような気がします。

さて、わたしなりの「落合博満」について少し書かせてください。学生時代を名古屋で過ごしたわたしにとって、中日ドラゴンズは生活にデフォルト状態の存在でした。

アルバイト先のS運輸には熱狂的なドラキチがいました。彼らはドラゴンズの選手の家を知り尽くしており、暇があるとドラゴンズの選手の家巡りをしたものです。

スタートは星野仙一、高木守道、木俣達彦、板東英二、鈴木孝政、宇野勝、その他の選手の家を車で回ってくるだけです。

そして1986年の暮れの落合が中日に来るというニュースでわたしたちは色めき立ちました。しかもS運輸が引っ越しを担当することになったのです。

学生アルバイトたちは作業員として志願しましたが、当然却下です。普段、背広を着ている上層部の社員たちが秘密裏に行いました。

後日、社員のMさんに聞いたら「落合はやってくれるね」と即答しました。Mさん曰く「信子夫人の目配り、気配り、心配りが素晴らしいからだ」と答えたのが印象的でした。実際、その通りになりました。

ドラキチの友人は新しいラインナップが増えたと喜んでいました(狭い街なので落合の新居はみなが知ることになります)

ちなみに当時は野球選手の家のインターホンを鳴らして、サインをもらっても案外オッケーだった時代です。

高木守道さんはいつ何時訪問しても、愛想よくサインをくれました。宇野さんもです。

友人は星野仙一さんのインターホンを鳴らして、こっ酷く怒られたことを喜んでいました。ドラキチの彼にとっては一生涯の勲章みたいな出来事です。

そして、落合さんは、、、。新居近くのスーパーで信子夫人と一緒に買い物する姿に遭遇したことがあります。

異彩を放っていました。野球選手ですから、デッカいのはわかっていますが、近寄ってはいけない雰囲気でした。

物怖じしない、今でいう空気が読めないドラキチの友人ですら、後ずさりしてしまったほどです。

さて、それからのわたしの学生生活は暇があればナゴヤ球場に通うことになりました。

当時から落合は多くを語らない人だったと思います。本書の帯に「なぜ語らないのか」「なぜ俯いて歩くのか」とキャッチがあります。

いちファンのわたしはあまり考えたことがありませんでしたが、当時の落合の佇まいを思い出すと合点がつきました。

「誰からも話しかけられたくない」理由も理解できます。

「なぜいつも独りなのか」と「そしてなぜ嫌われるのか」はわたしが落合に惹かれる一番大きな魅力です。

徒党を組む人間が嫌いなわたしにとって、落合に憧憬の念を禁じえません。子どもの頃って、有名人やスターを見て、心躍らせたものです。

でも、近年の有名人は饒舌すぎてガッカリするばかりです。SNSを多用して承認欲求と高感度アップに奔走する姿に幻滅します。

落合のように「嫌われることも厭わない」人間の方がより一層心が惹かれるのです。

わたしは本書を鈴木忠平さんの人間成長物語として深く感銘したと同時に、数十年前の自分への懐古もさせてくれました。

いちファンのわたしにとって遠い存在である落合を、映像メディアではなく、活字として垣間見えたことが大きな宝物になった気がします。

「爽快感」に満たされたわたし。

まだまだ挑戦して、成長したい気持ちが蘇ってきた一冊となりました。

素晴らしい本をありがとう!


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