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東京生活 学生アルバイト編part1

 これから、憧れの東京生活が始まる。どんな出会いがあるのだろう。生活費は、アルバイトで賄うのが進学の条件。今から考えると、いくらでも仕事があった時代。でも貧乏学生。ただ、夢と希望に溢れていた毎日。全てが楽しくて仕方なかった。

 一人暮らしも初めての経験。最初の住居は、飯田橋の大学へ電車で一本の沿線、本八幡駅南口。4畳半台所付き、トイレ共用、風呂無し。

 徒歩5分のところに銭湯があった。家賃2万6千円。アルバイトは学生時代、結局、20種類以上した。とにかく、1食浮かすために、飲食店が一番。アルバイトはすぐ見つかった。最初はカレー屋さん。延々、ジャガイモの皮剥き。3日で辞めた。次は大学の近くのカレー屋。店長にバカにされ、1週間で辞めた。次は台湾料理屋でウェイターをする。今度はしっかり気合い入れた。周りは全員、台湾人。神経質そうな社長が店長。ただ、奥さんに頭が上がらないのが、側から見ても分かる感じ。結局、1週間働いて、帰りにいきなり呼ばれて、クビ。理由は今だにわからない。周りのスタッフも同情してくれた。それから台湾人が嫌いになった。これはあくまで、個人的な感想です。

 若さ爆発。コイツら絶対見返してやる。負けず嫌いに火がついた。次に探したのが、東銀座の前の歌舞伎座に併設されていた喫茶店「和光」で、ウェイターをした。席数50席、チーフ1人、ホール    3人で回した。歌舞伎の開演前には、必ず、有閑マダムが団体でご来店。あっという間に、満席。フル回転で接客した。必ず、コーヒーを注文してくれる常連さん、電気会社の作業着を着たお兄ちゃんと顔見知りになった。若さ全開、アルバイトした後に、大学で講義受けて、大学の友だちと飲みに行っても、一晩寝たら、パワー全開。
バイトも慣れた6月のある日、歌舞伎座から注文が入り飲み物を運んだ。その帰り際、振り返ると坂東玉三郎を遠くからチラッと見ることができた。

 それだけで、ワクワクした。後からお店のスタッフに聞いたら、あの当時、絶大な人気を誇った
カルチャークラブのボーイジョージが、玉三郎に会いに来てたので、見れたのを知った。

 ラッキーな経験だった。アルバイトと大学を両立しながら、好きな本を読むことと映画を見ることが楽しみだった。情報に飢えていたんだね。
あの頃は、スポンジのように吸収できた。

 そんな中で、人生で忘れられない小説に出会った。その小説は、司馬遼太郎著「竜馬がゆく」である。とにかく、展開が面白く、アルバイトの休み時間を使って、全8巻をひと月ほどで読破した。今の自分からすると驚異的な速さである。
 やっと、慣れてきたけど、もう少し大学の近くで働くために、辞めることにした。

 お店を辞める時に、常連さんと作業着のお兄さんからチップとして千円ずつ貰った。メチャクチャ嬉しかったことを今でもしっかり覚えている。独りよがりだけど、台湾料理屋を見返すことができた。

 次のアルバイト先は、お茶の水の出版会社に併設している喫茶店「ソレイユ」。地下一階にある15席くらいの小さいお店。ホール担当だった私は、たまにカウンターでコーヒーの淹れ方を店長に教わった。仲々、店長と同じ味は出せなかった。店長は、元ボクサー崩れのパンチパーマ。私が小学生の頃、地元のボウリング場のオープン記念に来場した天才ボクサー大場政夫に頭を撫でられたことを話すと、急に親近感が湧いて働きやすくなった。
 
 店長に、コーヒーの淹れ方と軽食のレシピを一通り教わり、一人でこなすことができるようになった矢先に、店長が突然、辞めることになった。
辞める前に、札幌の知り合いのお店があるから、帰省したら遊びに行ってみなと紹介されていた。
店長に、初めて彼女ができたことを伝えた時、知り合いの宝石商のお兄さんから、プレゼントしなと、カメオのブローチを貰っていた。

 なぜ辞めたのか、理由もわからぬまま、オーナーに次の店長が決まるまで、お店を任された。店長には、一通り教わっていたので、快諾した。
 ホールスタッフのお姉さんと何とかこなす事ができた。ただお店を回すだけで精一杯。あくまで生活費を稼ぐため、まだ、学生なんだ。
 次は、どんな店長が来るんだろう、、、。
 



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