塞翁が馬

米国系投資銀行から米国MBAを果たし、2000年代の激動の日本の金融業界の中でM&Aを…

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米国系投資銀行から米国MBAを果たし、2000年代の激動の日本の金融業界の中でM&Aをリードした。その後外資系事業会社にて責任あるポジションをこなす。  現在日系事業会社で今までの経験を生かしたいあるビジネスマンの半生を綴ります。 ご質問、ご相談のある方は気軽にご返信ください。

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外資系で始まり日系企業に行きついたあるビジネスマンの半生 ~1

新たな人生に向けて。 これから世の中で活躍しようとされている方々へ、私のささやかながら失敗談を共有してお役に立てることがあればこれほどうれしいことはないのではないか、と思いノートを始めることとした。  社会人を30年以上続けてきて、勤め人としてのキャリアも終盤に近づいた。 思えば日本人としては非常にかなり変わったキャリアを積んできたものだ。 高校生の時親元を離れ2年の欧米海外留学をした。 卒業後日本の大学に入り、5年かけて卒業したが、なにを考えたか、外資系投資銀行に入社した

    • 外資系で始まり日系企業に行きついたあるビジネスマンの半生 ~5

      ビジネススクールの2年目は、クラスの要領や生活にもなれて楽しい学生生活となったと書きたいところだが、実際にはその真逆であった。新学期が始まったとたんに、各社リクルーターによる就職説明会が毎日のように始まった。そして、授業の宿題・課題の量もいっこうに減らなかった。 そういえば、最初の1年間「リーダーシップ」と呼ばれるセッションを他の学生5人と(強制的に)組まされてグループワークを経験した。 日本人であれば、グループで仕事をすることが当然なので、このようなクラスは取り立ててコー

      • 外資系で始まり日系企業に行きついたあるビジネスマンの半生 ~4

        MBAの最初の1年が終わると多くの学生はサマージョブというインターンシップを経験する。私は、国際機関で働くというMBA留学の当初の目的を達成すべく、ワシントンDCで3か月仕事を探すことができた。 1か月の給与が1500ドル、1か月の家賃が1000ドル程度だったと思う。 収入よりも生活費のほうが多かったが、国際公務員であればそんなものなのかなと思い、経験を重視してオファーを受けることとした。  2年のMBA卒業できなかった同級生はいなかったと前に書いたが、サマーインターンにつ

        • 外資系で始まり日系企業に行きついたあるビジネスマンの半生 ~3

          今海外のMBAに留学すると、日本企業についてのケーススタディーはどれくらい取り上げられるのであろうか? 80年代世界最強のビジネスモデルを作り上げたと賞賛された日本企業はMBAでも研究の対象であった。 円高を背景にトヨタのカンバン方式、アメリカの象徴となる企業・資産を買収してしまった日本(アメリカの魂と言われたロックフェラーセンターを買収した三菱地所、ファイヤーストーンを買収したブリジストン、コロンビアピクチャーを買収したソニー)。 事実私の留学時代前半には1ドル80円を切っ

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          外資系で始まり日系企業に行きついたあるビジネスマンの半生 ~2

          自費留学をした私は、授業に必至で参加し企業の就職説明会に参加し、1年目が終わったあとの夏季休暇中のインターンシップ(サマージョブ)の就職活動を行った。50名程度いた企業派遣(そのほとんどが大手金融機関からの派遣)の人たちは、留学資金と2年間の給料支給を受けての留学生活であったので、自分の生活とは次元の違うものであった。 MBAには卒業後投資銀行や戦略コンサルタント業界で就職しようとして来ているアメリカ人の多かったので、すでに投資銀行から離れてきて留学をしている自分ともキャリア

          外資系で始まり日系企業に行きついたあるビジネスマンの半生 ~2