人生のシナリオを描いてみる

一番わかっているつもりで分かっていないのが自分の人生の行き先だと思う。

今こうしてnoteを書きながら明日の未来は何となくわかるけど、1週間後の未来もなんとなくわかるけど、1年後の未来は本当に分からない。

生きている予定ではあるけど、どこに住んでいるのか、どんな人たちと絡みながら生きているのか、恐らく今の生活に大幅な変更がない限りうっすらと想像は出来るけど明確に想像できない。

何も目標を立てなくてもなんとなく前には進む。

だけど、未来は自分が「こうしよう、こうしたい」と心に決めて発願した瞬間からそっちの方向に舵を切るのである。

「そうかなぁ。」と思う人は自分の過去を振り返ってみると良く分かるはず。

◆〇〇高校に合格する

◆TOEICで900点をとる

◆インターハイに出場する

◆あの会社に入る

◆都会に住む

◆憧れのあの人と付き合いたい

◆旅行に行く

◆引っ越しをしよう

etc・・・

決めた瞬間からその夢(目標)に向かって動き出す。

大人になって家庭を持ち、仕事と子育てをしながら家事をこなしていると日常の忙しさで夢なんて考えなくなる。家族全員が健康であることが一番の目標だった時期もあった。(大病を患い生死をさまよったため)

実際、先日「将来どうなりたいですか?」と聞かれてドキッとした。

自分の将来のことや目標を聞かれると「・・・」となって答えられなくなる人も多いんじゃないかな。

大人になったからって夢をみちゃいけないなんてことは無くて、むしろ残された時間を有意義に過ごすためには夢や目標をもつべきだと思う。

大病をしたせいか、近年強くそう思うようになった。

わたしの母親はあと数年で70歳になるけど、夢を聞いたら「このまま普通に暮らせればいい」と言う。

普通。普通に家があり、家族が近くにいて、時々友だちとご飯を食べに行って、孫たちと遊ぶこと。

それはとても大事だけども・・・。

でも、もっと自由になってもらいたいなと思うのです。

結婚して30年間意地悪な姑に仕えて看取り、亭主関白な夫に今なお仕えて、子育てが終わったら孫の世話。

母は23歳でお見合い結婚をして40年以上このルーティーンの中にいて、自分の夢なんて考えたこともなかったんだと思う。

母親はいわゆる毒親でわたしは大変苦しい幼少期を過ごしたのだけれど、親を許せるようになったのは経済的にも、心も自由に生きているからだと思う。

(いつか、毒親から育てられた幼少期と毒親からの卒業の記事も書こうと思う。)

思い返せば「この家を出てやる」「海外に住む」「自分のしたいことをする」と、10代のわたしの原動力は負の感情だったんだけど、その時の決意があってこそ今の自分があるわけで、それはそれで良かったなと思う。

そして、一度夢が叶うと次も夢を見やすくなる。目標を立てやすくなる。

今の生活に収まっていることが悪いとは言わないけど、夢を見てそれが叶えられたら嬉しいじゃないですか。

だから「何歳になっても夢をみよう」、ということを強く言いたい。

わたしが叶えたい直近(1ヶ月以内)の夢は「友人とポットラックパーティをすること」。(まさかこんなことが夢になると思いもしなかったけど)

そして少し遠い年内に叶えたい夢は「Youtubeの登録人数1万人」。

そして1年以内に叶えたい夢は憧れのあのマンションに引越し。

実家を離れた時を1回にカウントすると、転勤や自分の趣味の引越しのため(住みたい家をみつけたら引っ越す)10回は引っ越しをしている。

11回の記念の引越しを是非とも1年以内に叶えたい。

引越しは一番人生を変えるっていうからね。



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