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4月某日

好きな人に、あなたのアナザースカイはどこですかと尋ねて、私の住む土地だと答えが来た。

この一年、総評として、生きていて楽しかった。
生き返ったんだと本当に何度も思う。2020年、多くの人にとってそうであるようにコロナ禍での働く環境の変化、家庭のごたごたで、夢を見ること全て諦めた。

2年後、もうここからは凪だ隠居だと逃避するように言い訳を探して今住んでいる場所へ引っ越してきた。

家族という言葉を使うことはないだろうと強く思った、もしくは決めた事を覚えている。

「3月のライオン」に出てくる好きなセリフ「不思議だ ひとは こんなにも時が過ぎた後で 全く違う方向から 嵐のように 救われる事がある」をこの一年にあてる言葉にしたい。

そしてそれゆえに、変わることは怖く、寂しく、悲しい。
ここからは不安を見ない事にして、振り払って走る一年にしたい。これからも誕生日よりも大切な日かもしれない。

1日分の仕事を半日にまとめるとちょうど良いくらいの忙しさ。
右から左へ仕事をドナドナして退勤。

好きな本屋(パン屋)で途中までしか読めていないまま気になっていた本を見つける。

本はその情報量や心意気、書き手の時間を買うと思えば安い。
けれどどうしても2,000円近くなってしまった近ごろは、必ず買うけど今ではない、という場面も出てきた。

文庫本も1,000円近いものの方が多い。
昔、本屋の師匠がエドウィン・マルハウスの文庫本、その当時は文庫ではなかなか見ない1,500円をツイッターでこれで1,500円は安いと言い放ちバズっていたことが懐かしい。
私は今でもそのマインドでもって本を買う。

今日はパンだけ買って出る。
目当てのクロワッサンは無く、牛乳パンを購入。言い訳がましく頬張る。
カゴの店主に教えてもらった秋田の小さな出版社、ユカリロ編集部のpodcastが心地良い。女の人が二人で話しているのが好きみたいだ。

podcastはかなり聞いているけれど、男の人が一人で話していたりすると、特にイヤホンをしている時なんかは何となくバツが悪い。

予約した病院へ。
ここ最近の生理痛の酷さに違和感を感じての受診。
問診を終え、病院で患者はどのくらいうっすらと嘘をつくんだろうと中待合で思う。

足を開く機械に乗せられ、生きた心地がしなかった。
カーテン越しに、おそらく問診を担当してくれた女性が足をぽんぽんと打つ。5分前には予想していなかった姿。力を抜くなんて無茶だろう。

いっそ全裸の方が羞恥心としてはまだましだ。どうせこの椅子に座るのならば勇気が無いですぅと辞退したがん検診もすればよかった。
むしろ足を開いた状態でカーテン越しにお願いしようかと思ったほど。

人体の不思議には触れられたものの、特に対処法は提案されず、病院って嫌いを再確認して後にする。

順調に傷んでいっている体に何の感情も抱かない。
心情としては少し傷ついているのかもしれないと、コンビニで買い込んだ食料で思う。

飲んで帰ろうかと思ったけれど、時間は早く、行きつけにしているお店は臨時休業で、小雨がぱらつく中帰る。
不完全燃焼の有給休暇でまだ悔しい。

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