マンガ「しーちゃんのごちそう」を読んで今更気が付いた話
マンガ「しーちゃんのごちそう」は、たかなししずえさんが書いた自叙伝的なお話です。
「しーちゃんのごちそう」のあらすじをざっくり言うと、昭和30年代の千葉県房総で暮らす女の子・しーちゃんは商店を営む両親から愛情をたっぷり受けて育っています。しーちゃんの家では毎日おいしい家庭料理が食卓に並びます。しーちゃんの日常を描いています。
たかなししずえさんの優しいタッチの絵でほっこりして、昭和30年代は私が生まれる前のことで、今ほど慌ただしくないのんびりした雰囲気が伝わります。
主人公のしーちゃんは昭和30年ごろの生まれで、おかあちゃんが40歳くらいの時の子供とあるので、おかあちゃんは大正生まれではないかと想像できます。
しーちゃんのおかあちゃんは大正生まれ!?それなら私のおばあちゃんと同じくらい!?
しーちゃんのおかあちゃんが大正生まれならば、私のおばあちゃんと同じくらいと考えられます。
私の母は昭和12年生まれで、その母である、おばあちゃんが大正生まれと言うのは聞いた記憶があります。
私の母はごくフツーの主婦でしたが食いしん坊でお料理が好きでした。
私の両親はお見合い結婚なのですが、初めてのデートの時に父が母に「食事に行きましょう。なにが食べたいですか?」と聞きました。
当時、男性がそう聞くのがお決まりで、女性は「なんでもいいです」と答えるのがお決まりとされていました。ところが母は「中華がいいです」と答えたというエピソードが残っています笑
おじいちゃんとおばあちゃんはキリスト教徒(カトリック)でした。戦争中の話はあまり話してくれなかったのですが、どうやら神父様のお世話をする寮監(寮母)のような仕事をしていたらしく、おじいちゃんもおばあちゃんもお料理ができました。
私が子供の頃の我が家の食卓を思い出した
「しーちゃんのごちそう」には、しーちゃんが家やレストランで食べた「初めての味」がたくさん出てきます。
ハンバーグ、お子様ランチ、ギョウザ、シチュー…
読んでいると、昭和30年代はまだまだ洋食が珍しかったことがよくわかります。
私は昭和40年代の生まれなのですが、私が子供の頃の我が家の食卓には、トンカツ、肉じゃが、ハンバーグ、てんぷら、唐揚げ、カレー、シチュー、ギョウザ…と和食、洋食、中華のどれも出てきました。
私はそれが普通だと思っていました。
ところが私が小学2年生くらいの頃、父方のおばあちゃんの家に遊びに行っきました。なにかで私は褒められて「ご褒美としてユミが晩御飯のおかずを決めていいよ」と言われて買い物についていきました。
お肉屋さんの前で「唐揚げとコロッケ、どっちがいい?決めて」と言われて唐揚げを選びました。「今晩はご馳走だね!」と言われましたが、私には唐揚げもコロッケも日常的なメニューで特別メニューとは思えませんでしたが、好きなものを選べたので喜んでいました。
でも「しーちゃんのごちそう」を読んでみると、父方のおばあちゃんたちにとっては唐揚げもコロッケも洒落た料理でご馳走だったのではないかと思えてきました…
今更気が付く恵まれた食卓
母方はキリスト教徒だったので教会関係にはいろんな方がいました。神父様はドイツ人もいらっしゃいました。
そんなことから、おじいちゃんやおばあちゃんは洋食に馴染みがあったのだと思います。
おじいさんはパンが好きで朝食はいつもパンでした。
おばあちゃんはパンと一緒にカフェオレを飲んでいました。
そんなおじいちゃんおばあちゃんに育てられたので母も洋食も中華も食べなれていたのでしょう。
父は母の作ったものを食べることで、洋食や中華が家庭でも食べられることを知ったのだと思います。
私が子供の頃にテーブルマナーを教えてくれたのも母でした。
母の口ぐせは「大人になれば、仕事関係など家族以外の人と食事をする機会が増えるから、なんでもおいしく食べられるようにマナーを身に着けておきなさい。」でした。
なので、私は食事のマナーがう~んな人に厳しくて、結婚相手はもちろん友人としても付き合えないなと思ってしまいます。
母の料理好きはどんどん拍車がかかり、私が中学の頃はラーメン屋さんにラーメンの作り方を習いに行って、家でも作れるようになりました。
鶏ガラを買ってきてスープから作るラーメンです。母の作るラーメンはなかなかおいしくて、一時はラーメン屋に行かなくなったくらいでした。
もう、私の両親にも祖父母にも会うことができないので確認のしようがないのですが、私が子供の頃の家庭の食卓はとても恵まれていたのではないかなと今更気が付きました。
好きと上手は違いますが、私も食いしん坊でお料理が好きです。これは母譲りなんだと思います。
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