主の居ない家とピリピリと
八月十四日のおっさんは忙しい。一軒3分の読経で檀家を渡り歩く。谷の間に向かい合う集落が地名の由来そのままのダムを背にして上(かみ)から下(しも)まで約2キロメートルをジグザグにだ。
お分かりいただけたと思うが、おっさんとは僧侶のことだ。
この準備を取り仕切ってきたのは写真の人、父だ。A型を一括りにするつもりはないけれど、やっぱりA型だよなと思う父は、この日の朝をひとりピリピリムードで迎えた。お供えよし、仏花よし、座布団よし、蠟燭よし、りんもよし、指先確認のごとく準備は進む。
そして「おっさんは何軒先までござったか?」分刻みのチェックにサンダルつっかけ表に出ては道を覗きこむ父。
おっさんどれだけ偉い人、なんて子供心に刷り込まれそうな行動だけれど、大人になった私はそれなりの敬意は払えどそこまでピリつかなくてもと、冷めた娘に育っていた。
父がそんなに頑張っていたお盆の行事もコロナ禍のおっさんは、玄関を入った所で読経するようになった。コロナ禍は一応過ぎ去ってもこの読経スタイルは今年も変わらない。おっさんが座布団に座ることは無くなった。
遠目にしか見えない仏壇のお盆仕様の祀り方に多少不備があったって分からないはずで、引き継いたO型の兄の性格も相まってピリピリ感は皆無になった。
私はこの日のために主の居ないこの家を一日がかりで掃除する。ピッカピカに畳を拭き上げる。
ずっとそこに主が住んでいるかのような空気に変わって行く。川から昇った風が掃き出し窓を通り抜けて行く。涼しい風だ。
見上げる空は青夏色で、フワフワ雲は白夏色で、山は緑夏色で、ここで育った思い出がいろんな夏色で描かれる。
結局のところピリピリの性分を少しだけ受け継いでしまったのは私かもしれない。
ピリピリと仏事全般をこなしてきた父が最後におっさんからいただいたものがある。
戒名不要論者の自分が気に入ってしまったのだから、当の本人はほくそ笑んでいるに違いない。無断で人の戒名使いやがってと唖然失笑したに違いない。
正源宗之の娘のひとつの夏行事が今年も終わる。