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ミスター・ジョーンズ(タイ)

 PSゲストハウスのPSとは、パット・サンポーンのイニシャルから取ったものだという。
「パット・サンポーンですか。なるほど。だれかの名前みたいですね」
「先生の名前だよ」
 といって、イギリス人は庭先のテーブルでノートをつけている中年の女性を指差した。
 小柄で痩せぎすの女性だが、一見して非常にエネルギッシュな印象を受けた。タイの女性にしてはめずらしくてきぱきとした立ち居振舞いをする人だった。
「彼女は高校の英語の先生をしていたんだよ。だから英語はぺらぺら。私よりもうまいかもしれない」
「あなたはタイ語はしゃべれないんですか」
「私? とてもとても。それに先生がいるから大丈夫」
 そのイギリス人の名前はジョーンズといった。このゲストハウスのオーナーなのか、居候なのか、よく分からない。まだ昼前だというのに、アルコールの臭いをぷんぷんさせている。年齢は五十前後だろうか。どことなく疲れ果てたような顔つきをした人だった。
 アユタヤに着いて、トゥクトゥクドライバーから逃げまわっていたら、この人に呼び止められた。てっきり同じ旅行者かと思って話していたが、どうも話が噛み合わない。もっともイギリス人のしゃべる英語は難しすぎて、半分も聞き取れなかった。
「アユタヤはやたらトゥクトゥクが多いですね」
「ここはトゥクトゥクだらけだよ。あこぎなトゥクトゥクドライバーも多くてね。相場の十倍くらいの料金をふっかけてくるやつもいるから、注意しないと。うちにもひとり専属のがいるけどね」
「うち?」
「そう。PSゲストハウス。日本人の娘さんも今ふたり泊まってるよ」
「あなたは旅行者じゃないんですか?」
「一年前はね。でも、今はここのマスターだよ」
 アユタヤはバンコクから列車で二時間ほど北へ行ったところにある湿地帯上の町だ。大きな町ではないが、タイでは有名な観光地だから、外国人観光客のすがたも多い。町の様子はどこか柳川に似ている。
 一度はアユタヤ王国の首都だった町である。現存する遺跡の数もひとつやふたつではない。赤茶けた巨大なトウモロコシのような格好をした塔を持つ寺院が、町の内外に点在している。歩いて見てまわるには少々距離があるので、たいてい観光客はトゥクトゥクを利用する。
 トゥクトゥクをつかまえるのには不自由しない。というよりも、たいていの場合、トゥクトゥクをつかまえる前にトゥクトゥクにつかまってしまう。アユタヤはたぶんタイでも最もトゥクトゥクの乗客獲得争いの熾烈な町のひとつだ。
 トゥクトゥクは朝から晩まで、アユタヤの町中を走りまわっている。観光客はむしろトゥクトゥクから逃げまわっているといったほうがいいかもしれない。アユタヤのトゥクトゥクドライバーは強引で、ずる賢く、口がうまくて、非情だ。そしてなぜか憎めない愛嬌がある。
 PSゲストハウスにも、そんな憎めないトゥクトゥクドライバーがひとりいた。自分ではキャットと名乗っていたが、本名なのか冗談なのかよく分からない。
 キャット氏はなかなかのジョーカーで、自慢のミラクルフィンガーの持ち主だった。いつも一組のカードをポケットに忍ばせていて、ひまさえあれば取り出して、みごとなカードマジックを披露してくれた。PSゲストハウスの人気者だった。
 ジョーンズ氏はといえば、こちらはほとんど毎日アルコール漬けで一日を暮らしていた。ゲストハウスの客は欧米人の若者たちが多かったのだが、彼らとしゃべることもあまりなかったようだ。
 ときどき、背の高い、やはりイギリス人らしい男が訪ねてきて、まじめな顔して何やら話しこんでいることがあった。しかし、たいていは庭先の定位置の椅子に腰掛けて、何をするでもなくぼんやりしていた。
 キャットにいわせると、彼はすでに人生をリタイヤしているのだという。なるほど確かにそういう雰囲気が、彼にはあった。
 老人というにはまだあまりにも若かったが、彼の人生はもう老境にさしかかっているのかもしれなかった。彼を見ていると、人っ子ひとりいない十月の海水浴場に置き忘れられた麦藁帽子の風景が、頭の中に浮かんでくるのだった。
 そんなジョーンズ氏の尻をひっぱたくのが、もうひとりのパートナーであるパット・サンポーン女史の仕事だった。彼女にひっぱたかれないかぎり、ジョーンズ氏のおしりは一日中椅子から離れそうになかった。
「なかなかきびしい人ですね」
 と私がいうと、彼は例によって疲れ果てたような笑いを浮かべるのだった。
「日本人は働き者だっていうけど、たぶん彼女ほどじゃないだろう?」
 確かに彼女は日本人も顔負けの働き者だった。というよりも彼女の場合、それは持って生まれた性格なのだろう。四六時中体を動かしていないと落ち着かないタイプのように見えた。
 高校の英語の先生だったという彼女だが、小さな体でさっそうと教壇に立ち、よくとおる甲高い声で授業を進めるすがたを想像するのは、難しいことではなかった。おそらく生徒たちからも慕われていたにちがいない。
 私はアユタヤの遺跡見物に出かけたのは一日だけで、あとはだいたいゲストハウスの庭で本を読んだりして過ごした。ごろごろして一日を過ごすには、もってこいのゲストハウスだった。ジョーンズ氏とパット・サンポーン女史のやりとりを見ているだけでも、退屈しなかったし、ときどき女史がグアバなど剥いて食べさせてくれた。
 グアバはリンゴとナシを足して二で割ったような味の果物で、私の好物だった。私がそういうと、それから彼女は毎日のようにグアバを仕入れてきてくれた。それだけでも私は彼女が大好きになった。
 いっしょに泊まっていた日本人娘ふたりも、ここが気に入っているようだった。
 最初、てっきりアジアを放浪している放浪娘たちのたぐいかと思ったが、そうではなかった。彼女たちはれっきとしたOLの姉妹だった。一週間ほどの予定でタイ観光に来たのはいいが、まだろくに見物もしないうちに、妹のほうが足を野良犬に噛まれて、アユタヤで動きが取れなくなってしまったのだという。
「でも、ここに泊まってよかったです」
 ひとりがいった。
「あの女の人がほんとに親切だし、ここにいるだけでいろんな人に会えるし」
「あちこちばたばた行くよりも、かえってよかったかもしれないわね」
「あのイギリス人のご主人も、なかなかおもしろそうな人だよね」
 私がそういうと、ふたりはしばし沈黙してしまった。
 どうやら彼女たちの目には、ジョーンズ氏は正体不明のなまけものとしか映らなかったようだ。確かに、彼からなまけものの称号を剥奪するのは難しい、と私は思った。

「ミスター・ジョーンズはイギリスで爆弾を作っていたんだよ」
 突然、トゥクトゥクドライバーのキャットが、トッポジージョみたいな声でいった。彼の愛車で夜の遺跡巡りをしていたときのことだ。
 もうひとりのスイス人の青年が、ライトアップされた仏塔を指差しては「ボム! ボム!」といって笑っていたので、私はてっきりキャットも冗談でいっているのかと思った。
「爆弾だって? そりゃ、きっと、アルゼンチンに落とした爆弾だろう」
 と、私も冗談めかしていうと、キャットはまじめな顔をして、首をひねった。
「ボスがいうには、自分の作った爆弾がどこに落とされたかは、知らないそうだ」
 私とスイス人は、思わず顔を見合わせた。彼の口ぶりがまんざら冗談とも思えなかったからだ。
 翌日の朝、私は直接、ジョーンズ氏に訊いてみた。
 しかし、どう見ても、このしょぼくれた中年男が、ユーラシア大陸の反対側で爆弾を作っていたとは信じられなかった。
 彼は私の質問に答えるかわりに、じっと私の顔を見つめた。それからふらふらと椅子から立ち上がると、家の中に入っていった。
「悪いことをいったかな」
 私のすぐ後に立っていたキャットは、肩をすくめて「アイ・ドント・ノー」といった。
 自分からいいだしたくせに、無責任なやつだ。
 OLの姉妹も「なんだってあんなこというのよ」とでもいいたげな顔をして、私を睨んでいる。
 しかし、ジョーンズ氏はすぐに部屋から出てきた。そしてすたすたと私たちのところに戻ってくると、何もいわずに何枚かの写真をテーブルの上に放り出した。そこにはイギリスの風景があった。
 イギリス風の落ち着いた趣の家があって、庭があった。そしてその庭には一匹の大きな犬とひとりの少年がいた。
「利口そうな犬ねえ」
 足を噛まれた日本人娘が、私の肩越しにいった。
「もちろん利口な犬だよ」
 イギリス人は自慢げにいった。
「きみの足に噛みついたようなばか犬とはわけがちがう。私のいうことなら何でもきく良い子だ。」
「この男の子は?」
 OLの姉のほうが訊くと、彼はしばらく間を置いてから答えた。
「息子だよ」
 見たところ、中学生くらいの立派な少年だった。
 この飲んだくれのイギリス人にこんな立派な息子がいるということは、彼が爆弾を作っていたということよりもはるかに大きな驚きだった。そして私はその写真を見ながら、つくづく考えた。現在の彼がこの写真の風景に帰ってゆくことは、もうとてもできまい。彼の自慢の愛犬だって、いきなり彼が庭に侵入しようとしたら、容赦なく噛みつくにちがいない。そして少年は…
 このガラス細工のような少年は、今、父親がどこで何をしているか知っているのだろうか?
「爆弾を作っていたんだよ」
 イギリス人は、突然、ぽつりといった。
「きみのいうとおりだ。私は爆弾を作っていた」
 それから彼は急に饒舌になった。ぺらぺらと十分ほどもひとりでしゃべりつづけた。こんなに真剣に彼がしゃべるのを聞いたのは、後にも先にもこのときだけだった。けれども残念ながら、本気になったイギリス人の英語を理解するリスニング力は、私にはなかった。OLの姉妹にしても、トゥクトゥクドライバーのキャットにしても、同様だった。そのことはイギリス人も分かっていたはずだ。
 それでも彼はしゃべりつづけた。たぶんそれは私たちに聞かせるためではなく、自分自身に何かを納得させようとしているのだと、私は思った。
 日本人娘たちは一足早くPSゲストハウスを去っていった。日本に帰れば、また日常の仕事に忙殺される日々がはじまるのにちがいない。キャットのトゥクトゥクにふたり並んですわったその背中は、私にはすでに遠く手の届かないもののように見えた。
 私は一週間アユタヤに滞在して、それから列車でチェンマイへと向かった。
 チェンマイ行きの列車は八時発の予定だったのだが、まだ切符を手に入れていなかったので、私は余裕を持って六時にはゲストハウスを出ることにした。
 六時前に起きだして、リュックサックを背負って庭に出てゆくと、もうパット・サンポーン女史は庭の掃除をはじめていた。
「いつも忙しいですね」
 と私がいうと、彼女はわざとおおげさにほうきを振りまわしてみせた。イギリス人はまだ夢の中にいるにちがいない。
「今日はどこまで行くの」
「チェンマイです」
「そう。いろんなものをしっかり見てくることね。そしてまたここへ帰ってきなさい」
 私はなんだか自分が高校生にでも戻ったような気がした。
 列車は三十分遅れて、アユタヤの駅を発車した。

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