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インフレ市制

コラム『あまのじゃく』1953/12/14 発行 
文化新聞  No. 1105


国策に乗せられた町村合併⁇

    主幹 吉 田 金 八

 県では自治庁の内意を受けて、『明年4月以降になると市制施行に必要な人口が3万から5万に引き上げられる情勢にあるから、現在人口2万内外の町で、近隣の町村を合併することによって、3万人になれそうな所は、3月中に合併を促進して、市制の実現を図った方が良い』という方針を示し、蕨(33000)、草加(15000)、与野(33000)、本庄(22000)、深谷(20000)、春日部(15000)の7町を候補にあげて、本腰で合併による市政を進めることになった。
 官僚万能の日本では、下から盛り上がる力を待っていたのでは、何時になっても国の求める方向に動いて行かないから、時に応じた題目を変えて太鼓を叩くわけである。
『戦争目的遂行のために』今度は
『能率的な自治体を構成するために』とあんまり違ったお題目ではなさそうである。
 結局は『上意下達』のやりよいような政治機構を整えるための官僚のご都合主義のように受け取れるのは僻みであろうか。
 飯能が血迷ったような運動までして、町長や議長が悲壮な顔つきでお役所廻りをして得た市制、市になったんだから、元加治を離しても、功罪相殺とばかり手柄に誇った飯能市実現も、『やっと県下九市の仲間には入れました』と言ったばかりで、市政祝賀会も済まぬうちに「お後がつかえています」とばかり似たりよったりの次男坊が7人もゾロゾロ、
「あたいも市になりました」と名乗り出るとなると、何が何だか分からなくなってしまう。
 これは単に埼玉県のみに限った事でなく、自治庁の方針とあるからには、全国で何百の市が誕生することは明らかで、まさにインフレである。
 民主国家とあれば強制的に市にまとめることは面映ゆく、あくまでも民意を尊重してという表面張りで行かなければならぬから、市というインフレの百円札(その実は、昔の30銭であることは理髪屋行って証明される通りである)で、アメを買いなと騙すより仕方ない。
 分村する元加治は東金子と合併して町になると言っている。
 これはまさしく自治体の貨幣価値の切り下げで、貨幣の方は銭位は法律で使えないことになったから、百分の一の切り下げ行われたと同様である。
 新聞社でもケースには銭、厘という活字があっても、金利の場合以外は使い道がなく、今度は万とか億とかの文字をたくさん用意しなくてはならなくなった。
 市が都になり、町が市になり村が町になって表面は威勢が良いが、子供が5円持って駄菓子屋に行って、アメが一つしか買えないと同じで、内容は同じことに気づいてナーンダと意気味かえったことがバカバカしくなるのがオチであろう。
 この頃、新聞の大きさを明年春から倍版の計画で、暇を見ては手回しの鋳造機で活字作りをやっているが、機械の調子が良いと夜なべに7千本ぐらいの活字がコロコロ出来てくる。
 活字は一本70銭ぐらいのものであるが、造幣局ではこれ以上の簡易さで1万円札を製造してることを考えるとおかしくなってしまう。
 一本70銭の活字を作る原料と手間に匹敵するくらいの原価で、1万円札が1枚でき、これで安い労働者の3日分の労働が買えるのだから、政府は『こんなうまいことはない』ということになって、やたらと札を作り、国家予算を増すことに腐心する。金準備(つまり、生産の果実の裏付け)のない札がどんどん出るのだからインフレは必然である。
 官公吏を主とした月給取りには、インフレは鬼門であった時代があった。
 今の官公吏は紙幣の発行高と比例してベースアップが行われる制度がやや確立したので、現在程度の緩行だから役人はインフレを甘く見て、そんなに反対しなくなってきた。
 インフレで困るのは民間の企業とそこに働く労働者である。
 国鉄のベースアップは旅客や貨物運賃のお手盛り値上げでバランスを合わせることができるが、民間事業は独占でないから、そうお手盛りは通らない。石1500円の山木が2000円になったら飯能の材木屋はほとんどお手上げになってしまう。今まで500万の資本で一年中いじくれる材木が買えたのが1000万なくては商売ができなくなった。勢いそこに働く労働者は失業したのもあれば、低賃金でぶらぶらしている状態となった。材木屋はお札を作る術がないからである。
 だが、インフレの進行状態は緩行から急ピッチに移行し出すと、恐ろしいことは過去の事例が証明しており、甘く見るばかりか、冗員や冗費でインフレの素地を作っている官僚どもが、アップアップする時代が必ず来ることを予言する。
 その時こそは民衆の無血革命で、現在の官僚機構を一挙に覆して、民衆のための民主政治が確立する機会になるのではないか。
 軍閥内閣は戦争をやり良くするために町村の合併をやった。現在の政府は再軍備の軍事費を生み出すために金ばかり喰う平和的な行政事務を、地方分権の美名に隠れて地方に移動するために、町村の規模を拡大しようと計画している。
 なんとうまい事を並べても、再軍備、戦争への道を歩もうとする底意は覆うべくもない。


 コラム『あまのじゃく』は、埼玉県西武地方の日刊ローカル紙「文化新聞」に掲載された評判の風刺評論です。歯に衣着せぬ論評は大戦後の困窮にあえぐ読者の留飲を下げ、喝采を浴びました。70年後の現代社会にも、少しも色褪せず通用する評論だと信じます。
 このエッセイは発行当時の社会情勢を反映したものです。内容・表現において、現在とは相容れない物もありますが、著作者の意思を尊重して原文のまま掲載いたします】


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