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ニセ札の行使ルート⁈

コラム『あまのじゃく』1962/10/13 発行
文化新聞  No. 4283


3百万円のテラ銭に驚き‼

    主幹 吉 田 金 八

 ニセ札が関西方面にも出始めた。去る6日山陽線笠岡駅の売上金の中から発見された。警察当局の推理に従えば、行使犯人は岡山県までノソノソ行って使ったことになる。
 埼玉県での28枚目のものは、11日久喜町の梨作りの農家から発見された。 出盛りの梨代金として受け取ったらしいが、20日間もタンス預金をしていたので、どこから受け入れたものか判らないという新聞記事を見ていると、発見の時点は菓子屋とかタバコ屋、八百屋などが多いから、この犯人はそうした小店を狙って行使しているような書き振りが多い。
 同じ日の新聞には鬼怒川温泉のホテルで、東京の大親分が16人も集まって大トバクを開帳しているところを今市署が大手入れをして、テラ銭三百三十九万円が押収されたと報じている。
 警官の急襲を逃れようとして、博徒の一人は3階から鬼怒川に飛び込んで即死したという活劇もどきのつけたりもあって、この記事を一層華やかにしている。
 この連中の所持金とテラ銭から押して、この賭博場で一夜に動いた金は1500万円と付け足してあるが、この賭博とニセ札を結ぶことを当局も新聞も見落としているのは迂闊である。
 本紙がしばしば報じているように、今度のニセ札使いは決して自分や自分の配下を使って、菓子屋やタバコ屋でコソコソ千円札を一枚ずつ使ってはいないと言うことである。
 一番考えられる手は競輪、競馬のアナ場(通称=札を握った手を差し込むと馬券、車券を握らせてくれる出札場)である。もちろん競輪・競馬は4割はテラに取られるから、総平均しても6割の還元率に過ぎないが、第一顔を見られない。同じ場所で1日何万何十万と撒くことが出来る。 負けてみてもニセ札だから気が楽だし、10番に3番当たれば本物をゴッソリ持って帰れる。何を苦しんで関東・東北を駆けずり回って千円宛菓子を買って歩く愚を選ぶか、今度のように精巧なものを作って足を出さない利口な犯人様がそんなことをやる訳がない。
 さらにもっと知能犯なら、大銀行の出張係を仲間に引き込んで束で流通ルートに乗せる。
 ヤレ札には銀行員も警官するが、日本銀行から出たてのホヤホヤと見せかけた新札の束には気が緩む。
 受け取る方は大銀行の窓口から堂々と出てきた新しい束なら安心して公然と流通のコンベアに載る。
 もう一つはこの鬼怒川のホテルで行われているような賭博の世界を狙う。
 この社会は別社会で、図らずも鬼怒川で網にかかったが、日本中おそらく毎日この手のご開帳は行われていると思う。この親分を仲間にする。
 バクチもニセ札も法を憚ることは同じだから、偽札の一味になるのはいと易いこと。若しくは、近郊の地所成金で金が唸って困っていると称して、カモになる。
 負けるのはニセ札、勝てば本物、こんな気楽な勝負はない。バクチ場では札は紙屑の様なもので、ニセか本物かで神経を使う律儀者はいない。
 しかも勝って持ち帰った金を銀行に預けるトンマもいない。タンスからカバン、ポケットと経巡って適当に紙幣の腰がなくなった頃に仲間から別れて一人歩きとなり、各地の商店にわたる。そこでボツボツ三千円が嬉しい発見者の前に現れることになる。
 私の睨んだニセ札の行使経路は以上の3コースである。
 私はこのことを再三、この紙上から当局に警告している。
 鬼怒川の手入れで押収した。テラ銭は厳密に鑑定する必要がある。しかし、一夜のテラ銭だけで330万も上がる賭博が行われるようになったことを見ると、日本は如何にもインフレになったものである。
 ニセ札の地下工場も一万円札に製造方針を切り替える位の先見があるかも知れない。 


 コラム『あまのじゃく』は、埼玉県西武地方の日刊ローカル紙「文化新聞」に掲載された評判の風刺評論です。歯に衣着せぬ論評は大戦後の困窮にあえぐ読者の留飲を下げ、喝采を浴びました。70年後の現代社会にも、少しも色褪せず通用する評論だと信じます。
 このエッセイは発行当時の社会情勢を反映したものです。内容・表現において、現在とは相容れない物もありますが、著作者の意思を尊重して原文のまま掲載いたします】

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