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観光地か工業都市か

『あまのじゃく』1950/6/27 発行 
文化新聞  No. 21

※埼玉県西武地方の小都市「飯能市」の将来を模索した昭和25年頃(*73年前)のエアー設計図面です。現在の実情と比較すると非常に興味深いものがあります。


大飯能の行くべき道

    主幹 吉 田 金 八

 飯能はこれからどの道を進んだら良いか。この基本方針を定めることが大きな課題となってきた。もちろんどの方向に進むことも、この町に住む人の個人的努力に負うところが大きい問題であって、仮に戦争中、国家や府県市町村等が観光のことを忘れたり排斥したりしていた最中でも、頭の良い観光関係の業者は遊覧観光を健民崇神に置き換えて、名勝温泉地の衰微を防いだように、町当局が飯能を観光地にしようと言うテーゼを決めて、町予算の相当量を観光施設に投じてみたところで、せいぜい駅前に案内図を出したり要所々々の指導標とグランドの整備位が関の山であって、西武鉄道や東雲亭(*地元料亭)の一法人一個人の商人魂の努力には及ばない。
 ただ町で基本方針を決める事は、いわば綱引きの旗振りのようなものであって、その方針方策が適当であり、町民の賛成支持を得たとなれば、町民何万の人々が町長の旗の振られる方向に力を合わせることになり、恐ろしい力を発揮することになろう。
 町の発展の方途を決める場合、何が土台になるかと言えば、それによって多数の人が幸福になれることが必要条件である。街の発展繁栄の美名に隠れて、わずかの業者、特別の人々のみが利益を独占するような方法には、東条の大義名分に表面は従ったように見せて、その実ダイヤや金指輪を隠し持って、本当の協力を国民がとらなかったと同様に、掛け声ばかりとなるのがオチであろう。
 さらに米ソ冷戦の推移、国際情勢の動向も町の方向を決定する重要なポイントである。今にも洪水で堰がきれようというのに、その下方に家を新築するものもないであろうし、原子爆弾の不安が新聞を賑わしており、株価は底なしに安くなり千億以上の退蔵通貨と、いつでも持って逃げられる一兆億の預貯金通帳に、国民が心配げな瞳を注いでいる最中に、細田代議士(*地元出身国会議員)の観光飯能の構想は、天覧山(*地元名山)をケーブルカーで登った羽化登仙の夢物語であり、ネオンサインに眼のくらんだドンキホーテのナンセンスである。
 個人でも国家でも方針を決める場合に、目先当面の方針と子孫百年の大計がある。食えないからからパンパンになることも、二階をそれらの人に貸すことも、そのことを子孫に伝える家業のつもりではあるまい。池田蔵相が日本はメカケであると言って新聞の批判を受けたが、やむを得ない当面の方策である。全面講和が百年の計であることは吉田総理も百も承知であろうが、目先そんなことを言っても間に合わないから、次善の策として単独講和を結ぶことにしたわけである。
 話が脱線したが、飯能の自然美が観光地としての素地があるかどうかも一考すべきであろう。さらにまた観光地として都人士を最大限に吸引したとしてどれだけの人々に生業を与えられるだろう。
 また遊客が飯能の商店からどのくらいの商品を買い、商店街を繁栄させられるか、飯能町将来の盛衰をかけた基本方針であってみれば、相当の研究の余地がある。私は飯能の地理条件を郷土産業の歴史的経過と、前途の客観情勢をにらみ合わせて、工業都市の建設を主に健康住宅地と観光遊覧地従とした大飯能の都市計画を提唱したい。
 吾野、名栗、成木の森林地帯を背負って、飯能の木材工業は、天与の重要産業である。現在すでに有力な産業を、さらに家具木工業の総合的有機的な発展助長を図ったならば、東京という大消費地を控えていること故、将来の繁栄期すべきものがあろう。
 ところが現在これらの産業の発展を阻害しているものに工場敷地の入手難がある。土地があっても非常に高いということである。この点に土地所有者の賢明な協力が必要である。次に電力問題である。現在電力事情は、政府や電気会社の統計は制限をしようとする段階と言うが、実情は有り余っていること明白である。その証拠は、儲かる事業に対して無限に販路を求めていることで明白である。街路灯しかり、ネオンサインしかり、広告電灯は不夜城の明るさで、動力の使用を制限して休電日などという戦争の遺物を大切に守っている電気会社の旧態依然が、どんなにかこの地方の中小企業の邪魔をしているか。電気会社も時代を明察して、会社の商品のごとく明るい営業をやってもらいたい。
 次に金融の面である。現在中小企業の一番困惑しているのは信用金融の梗塞である。もちろん現在のような物価・世情の不安定な時代には、預金者の安全のために、銀行の貸し出しも難しい事は承知している。しかし、地方産業の発展、特に中小企業の助成のためには銀行の親切を要望する。
(*印 編集者注)


 コラム『あまのじゃく』は、埼玉県西武地方の日刊ローカル紙「文化新聞」に掲載された評判の風刺評論です。歯に衣着せぬ論評は大戦後の困窮にあえぐ読者の留飲を下げ、喝采を浴びました。70年後の現代社会にも、少しも色褪せず通用する評論だと信じます。
 このエッセイは発行当時の社会情勢を反映したものです。内容・表現において、現在とは相容れない物もありますが、著作者の意思を尊重して原文のまま掲載いたします】

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