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吉田首相の亡命 ⁉

コラム『あまのじゃく』1953/6/20 発行 
文化新聞  No. 799


夷を以て夷を制す

    主幹 吉 田 金 八

 支那に『夷を以て夷を制す』という言葉がある。
 この意味は外国人を争わせておいて自国の安全を図るということであり、『夷』と言うのは支那漢人種の化外の民に対する馬鹿にした呼び名だと辞書には出ている。
 由来、中国人は国が大きいために国家の統一が困難で、民族の力を集結して自国の独立が保てないために、常にこの『夷を以て夷を制す』式の政策をとって割合と成功を収めている。
 今台湾に亡命政権を保っている蒋介石氏の如きも、アメリカの『夷』で日本の『夷』を打倒した事は成功であったが、国内の共産党がソ連の『夷』と結んだのに追い出されてしまった。
 韓国の李承晩氏もアメリカの『夷』を頼んで北鮮に対抗し、北進統一を企図したが北鮮の結んだソ連の『夷』の力が案外強く、アメリカが尻込み気味なので、駄々っ子ようになって「休戦反対」を叫んで、昨日は反共捕虜2万数千の集団脱走という珍手を打って、休戦会談を決裂させよう図っていた。
 泣く子が母親の注意を引くために地団駄踏んだり、着物を喰い破ったりするのと同じことのようである。力のないものが事を成そうとするには、ある時代と、ある言動には他人の力を借りる事はやむを得ない。
 事業家が外資を導入することも事業の当初や、臨時の必要な場合、適当な額と条件内容ならば外資のために事業が発展するであろう。
 しかし、これも限度を過ごせば、この外資のために事業が喰われてしまうことも往々ある。
 『夷を以て夷を制す』ことも、自分では利用しているつもりでも相手国に利用され、その傀儡になってしまっては国家民族の命取りとなってしまう。蒋介石先生や李生晩先生は『夷を以て夷を制す』るつもりで相撲を取り損なった、あるいは取り損ないかけている関取の部類ではないだろうか。
 吉田総理大臣もあまりアメリカの言いなり小僧になりすぎているので、左翼の人たちから『売国奴』と屡々ののしられるが、吉田さん自身国を売るつもりなど毛頭あるまい。
 ただ国力回復への過程を、アメリカの援助にすがって楽をして事を成そうという気持ちなのではないか。
 または、もっとずるい考えで世界を2分する米ソの中間をうまく踊って、火事場ドロ的にフンダクレルだけフンダクロウと言うのかもしれない。
 そうする事が国力の回復も容易だし国民の幸福(とりあえず自分のたちの階級の利益)と言う信念に燃えていられるのであろう。
 ただ『夷』を利用するつもりが、腐れ縁がいよいよ深くなって、「アメリカさんの食い残し」を喰いつけて国民はいよいよ自堕落になって、外形的文化生活と娼婦根性で心が腐ってしまったら大変である。
 日本は世界の大国の多数を相手に、堂々と戦って敗れたのだから、戦犯としての『しもと』を悪びれずに受けて、困苦欠乏のなかに国民は鍛錬され、そこから細々なりと再出発すべきではなかろうか。
 永い間の植民地的境遇から「これでは民族は救われない」と決然と起って『ブンブン車』を旗印にガンジーを先頭に米英の支配に対抗したインドは、今や完全に東亜の政治的指導権を握るほどに国力を引き上げつつある。
 アメリカの褌で上手に相撲を取ろうとする吉田のオッサンよ。手技で失敗してアメリカに亡命することのないように「シッカリ頼ンマッセ」である。
(※ 編者注=これぞ『あまのじゃく』吉田主幹の真骨頂です。現在でもそのまま通じる政治理論だと思います。)


 コラム『あまのじゃく』は、埼玉県西武地方の日刊ローカル紙「文化新聞」に掲載された評判の風刺評論です。歯に衣着せぬ論評は大戦後の困窮にあえぐ読者の留飲を下げ、喝采を浴びました。70年後の現代社会にも、少しも色褪せず通用する評論だと信じます。
 このエッセイは発行当時の社会情勢を反映したものです。内容・表現において、現在とは相容れない物もありますが、著作者の意思を尊重して原文のまま掲載いたします】

 

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