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『文化新聞』一千号を迎えて

コラム『あまのじゃく』1953/10/10 発行 
文化新聞  No. 1000


一万号達成を見るのが夢

    主幹 吉 田 金 八

 本紙も今日で一千号を迎えた。ガリ版・週刊発行以来、手塩にかけた記者とすれば感慨深いものがある。
 まさに一言無かるべからずというところである。
 お祭り沙汰の嫌いな本社では、別に一千号を記念する何の目論見もない。普通の新聞社なら、一千号記念とか銘打って名士の賛助や、商店から押し付け広告をゆすって、大々的に広告増ページを出すのは当たり前だが、本紙はそんなことも煩わしいしやりたくない。
 現在二、三の大口定期広告のお陰で、そんなにガタガタ乞食のように広告を集めて歩かなくてとも、どうやら紙も買えるし、工員の給料も不十分ながら支障はない。
 別に新聞で金を儲けて贅沢な生活をしようということや、株を買おうという欲がないから、毎日順調に新聞が出せて、どこにも不義理ができなければこれ以上の望みはない。
 この上の欲は、新聞をさらに大きく、立派なものにしたいということである。少なくとも入間、比企両郡下、それに秩父郡も加えて、3万部くらいの発行部数を持ちたいものである。それには紙面も現在の倍大にして、写真も記事と一緒に載せられるようにしたい。
 ようやくの思いで最近活字鋳造機が買えて、ボツボツ活字を新しくしているが、来年は今の倍の平台の印刷機を入れて、写真製版も自家工場でやりたいと思っている。
 そうなれば、編集にも取材にも若い立派な人材を入れて、分村だけが取柄で、しかもまた、分村で持切りの紙面を、グンと垢抜けたものにしたいものである。
 本紙の生き方は、一歩一歩あくまでも堅実な歩み方で行く。しかも一歩一歩前進である。断じて後退したくない。ハッタリなしの地道な行程で終始したい。しかも読者にはあくまでも忠実で、便利な愛される新聞として、小地域一戸、一枚式に、普遍的に読者網を築いていく。そうなれば広告の効果も確実なので、いながらにして集まってくる。『チラシより安くて、効果がある文化の広告』というようになりたいものである。
 現に僅かずつでもそうした傾向にあることは記者の会心のところである。
 そのためにも本紙の定価は、あくまでも安くなければならない。現在東京紙の280円は、読者には相当負担である。なるほど、物価の騰貴率から言えば決して高いわけではないが、国民所得が物価と比例していないから、家計は食費その他に大部分削られて、文化費が足りないので、新聞代に骨が折れるのである。
 だから本紙は倍大にしても100円か120円で止めて、そしてどんな貧しい人でも文化新聞は読んでいるというふうになりたいものである。
 来年の事を言うと鬼が笑うかもしれないが、来年のことを楽しみに考え、現在の苦しみが耐えられるというものであり、勇気も湧き溢れるのである。
 今から25年は長生きして1万号の紙面を見て死にたいというのが、記者の念願である。


 コラム『あまのじゃく』は、埼玉県西武地方の日刊ローカル紙「文化新聞」に掲載された評判の風刺評論です。歯に衣着せぬ論評は大戦後の困窮にあえぐ読者の留飲を下げ、喝采を浴びました。70年後の現代社会にも、少しも色褪せず通用する評論だと信じます。
 このエッセイは発行当時の社会情勢を反映したものです。内容・表現において、現在とは相容れない物もありますが、著作者の意思を尊重して原文のまま掲載いたします】

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