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税務署員と納税者

『あまのじゃく』1950/11/23 発行 
文化新聞  No. 64


財務官吏も人の子⁉

    主幹 吉 田 金 八

 足の甲に豆粒大の腫れ物ができたのでN先生に切開してもらう。手術の後で少しも痛まないのでバカにしてオートバイを乗り回し、新聞社の小川総務と二、三軒梯子のみをして、前後不覚で寝込んだのは良いが、夜中に悪寒がして四十度の発熱。医師は専門語で何とか言われたが、丹毒の親類のような性悪のもので、さすがに患部の痛みとほてりと発熱で、うなるような苦しさ。
 そのさ中、税務署員が所得税の調査にやってきた。家の者に帳面を洗いざらい出させて、調べてもらっといて、さてっと、寝床の中で開き直った。
 「あなたの方のでたらめな決定を、文化新聞の住民税一覧表(*当時『文化新聞』紙上で町内住民税の一覧を掲載していた。現在のプライバシー保護の下では考えられないが…)で知って、町中てんやわんやの大騒ぎとなり、役場は住民税の公表を禁止する始末となった。その責任は全部税務署が負うべきだ。私は営業一切を人手に渡して一新聞人として、今後税務行政の監察官役になるから、そのつもりで」…と。
 おかげでその午後また九度五分の熱を出す始末。
 税務署員は私の寝床とは隔たりがあって、人柄は見られなかったが、言語応対ともに慇懃で誠実のこもった人に受け取れた。
 「毎日二件ほどの実態調査をし、家に帰って調査の結果をまとめると十時になるのは常」との事。財務官吏には労働基準法が適用されず、日曜も祭日もない。「正月生まれの長女は母乳がないため毎月三千円のミルク代に実身が細る思いをした」と述懐していた。
 下級税務官吏は下級警察官や労働者、小商人と同様、馬鹿を見る口であることには変わらない。
 私は400円の町民税徴収令書が来たのを、「これは何かの間違いでしょう」と役場まで持っていって、40,700円に書き直してもらった程の馬鹿者。――これを称して森の石松と言う――
 だから自分の税金のことでは高い安いのといった事は嘗てないが、今度の住民税から帰納推測される所得税の凹凸に関しては、読者以上に義憤公憤の押さえ難きものを感じる。
(*印=編者注 筆者発熱のためか文章に多少の乱れが感じられ、感情の高ぶりも見られる。)


 コラム『あまのじゃく』は、埼玉県西武地方の日刊ローカル紙「文化新聞」に掲載された評判の風刺評論です。歯に衣着せぬ論評は大戦後の困窮にあえぐ読者の留飲を下げ、喝采を浴びました。70年後の現代社会にも、少しも色褪せず通用する評論だと信じます。
 このエッセイは発行当時の社会情勢を反映したものです。内容・表現において、現在とは相容れない物もありますが、著作者の意思を尊重して原文のまま掲載いたします】


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