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紙型・鉛版第一号に成功

コラム『あまのじゃく』1958/8/29 発行
文化新聞  No. 3008


記念すべき発展の過程

    主幹 吉 田 金 八

 本紙は近い将来輪転機ならでは漸増する紙数をこなしきれない状態となってきたので、そうした場合に対応できるように、在来活字を並べてなまで印刷機にかけていたものを、一度紙型にとったものに鉛を流し込んで鉛版を作成し、これを平台印刷機にかけて印刷する方法をとる事になった。
 これは別に事珍しい方法ではなく、都内では活字の直刷りの方が珍しいくらいで、だいたい印刷物は紙型・鉛版によっている訳だが、都内は紙型屋、鉛版屋、刷り屋と近い所にそれぞれの業体があり、一連の作業が簡単に出来るが、地方都市ではそれがなく、やるとなれば印刷所がそれらのすべてを兼営しなければならないから、よほどの大規模な印刷工場でなければ出来ない事であった。
 本社は前記の如く激増する紙数をこなすためと、それに各地方ごとの特別版を作成して文化新聞は飯能ばかりの新聞ではない体裁を整えるためにも、ぜひ紙型・鉛版の使用に迫られた訳である。
 これならば飯能の重大事件をトップに持ってきた飯能地区版を紙型にとれば、その版を組み直して小川、坂戸方面に向くようにして、その地方版を作ることもできれば、同じ版を2枚鉛版に流して、同じものを2台の印刷機械で同時に刷る事もできる。そうなれば鉛版に要する時間が30分ほど余計にかかるが、印刷にかかって半分の時間で済むと言う利益があるから、輪転機導入までの過渡期にどうでも実施しなければなら行程である。
 すでに東京から熟練工を招いて教授を受けて、三日目には昨日の1面、3面の如き(あれは紙型、鉛版の成果で、全部本社の行員の手になるもの)程度に技術を手に入れることができた。
 本社はこれによって一万から一万五千部までの紙数を平台でこなし、その線に届いたら、直ちに輪転機に切り替える計画を立てている。
 紙型さえ出来れば、これを輪転機用の丸胴の鉛版にすることは訳がないので、まずこれをスムーズにこなすことが輪転機移行の第一歩である。 


 コラム『あまのじゃく』は、埼玉県西武地方の日刊ローカル紙「文化新聞」に掲載された評判の風刺評論です。歯に衣着せぬ論評は大戦後の困窮にあえぐ読者の留飲を下げ、喝采を浴びました。70年後の現代社会にも、少しも色褪せず通用する評論だと信じます。
 このエッセイは発行当時の社会情勢を反映したものです。内容・表現において、現在とは相容れない物もありますが、著作者の意思を尊重して原文のまま掲載いたします】

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