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身売りを免れた日本

コラム『あまのじゃく』1954/12/14 発行 
文化新聞  No. 1369


免れた再軍備一直線⁈ 吉田内閣の崩壊で
 
   主幹 吉 田 金 八

 吉田内閣が自壊したのは、彼をアメリカがかつての吉田茂ほど評価しなかったからである。
 吉田茂があれほど洋行を待ち望んだのは、彼の政策の行詰まりを、アメリカに行って日本の再軍備と引き控えに経済援助のお土産をもらって来ようと心待ったからである。
 ところがこの窮余の策も引き続く吉田の暴策失政に、さすがの国民も目覚めて、吉田不信の態度をハッキリ表明し、これが与党自由党内に反映して、吉田を引退させなければ自由党は自滅だという事から、党内が分裂騒ぎを起こし、この党内国内事情はアメリカに判って、いくら吉田が虚勢を張ってもアメリカがお土産を持たす気にならなかった訳である。
 これは下手に吉田を信用して経済援助を与えても、多分食い逃げに終わる危険を慮ったので、アメリカとすれば当然である。
 吉田も思惑が違い、アメリカも予定通り行かなかったかもしれないが、日本も金を貰ってアメリカの弾丸除けになる災難から身を守り得た訳である。これは実に大きな幸運である。
 現在がどんなに苦しくても、経済的な苦しみなどは、将来戦火に襲われて国内を逃げ惑うような事に比べれば、我慢出来ない筈はない。苦しいの切ないのと言って見たところで、日本に金がない訳でも物がない訳でもない。ただ政治と経済の在り方が出鱈目で、デコボコと裏表が有り過ぎるから苦しいので、政治を正しくして、働かないで贅沢ができるような不都合なことを改めていくならば、結構民の家に煙の立たない事の無い様になる訳である。私は米国のお余りや、お恵みで楽をして食おうという事よりも、日本人がパチンコやヒロポンと縁を切って、もっと地道な生活を考えるならば、絶対に失業も不景気もないと思っている。
 その事は、さすがの吉田茂も自分の眼でヨーロッパの復興ぶりを見てきた事を何かの張り合いで告白しているから、強情で馬鹿な爺さんである。
 吉田失脚は日本がドイツになることを防ぎ得た尊い収穫で、これも国民の戦争反対の世論が大きな勝利を収めたことを物語るものである。
 吉田に代わった鳩ポッポ内閣も『中共との貿易を回復する必要がある』と認め得ざるほどの時代は大きな転換を示して来た。
 鳩ポッポは、自衛力の必要という言葉で吉田の亜流の豆鉄砲の軍備を持とうとしているのは、これも国民の力で愚を悟らせるところまで追い込まなければなるまい。
 民主党はもっと強く憲法改正再軍備の線を打ち出して今度の総選挙は、再軍備か非武装かで堂々と国民の世論を問うべきである。
 自衛力だとか、保安隊だのと言うマヤカシ言葉で、インチキを行うことは許されるべきではない。
 記者は吉田茂およびその一党が、『保安隊は軍隊ではない』などと詭弁を弄している口の下から、対戦車砲を備えた重戦車などの装備を眼のあたりに見せつけられて、この戦車の下に身を投げ出して再軍備の反対を絶叫したい衝動を抑える事が出来ないほどであった。
 それにしても、国際外交合戦もアメリカよりもソ連、中共の方がずっと上手だということは、吉田の外遊前後の共産圏の外交政略によく表れており、学者、文化人、国会議員、報道陣の誘致等による中共の国内事情の紹介、在留邦人、捕虜送還等に見られる友好態度の表示等吉田を孤立させる国内情勢を変化させることに有効な手を打った。
 アメリカ模倣の薄っぺらな文化様式を見慣れた眼から見れば、中共の服装はいかにもみすぼらしく、戦争中の日本の国民服を彷彿とさせ、中京の経済文化がまだまだ低劣であるかの感を抱くものが多かったであろうが、記者は東洋の各国の現在の資源や経済力から見れば、国力に応じた文化服で、アメリカパンパンの服装に比べてずっと立派であると思う。
 吉田の失脚で祖国が身売り寸前で、自分を守り得たことを国民の世論に感謝したい。


 コラム『あまのじゃく』は、埼玉県西武地方の日刊ローカル紙「文化新聞」に掲載された評判の風刺評論です。歯に衣着せぬ論評は大戦後の困窮にあえぐ読者の留飲を下げ、喝采を浴びました。70年後の現代社会にも、少しも色褪せず通用する評論だと信じます。
 このエッセイは発行当時の社会情勢を反映したものです。内容・表現において、現在とは相容れない物もありますが、著作者の意思を尊重して原文のまま掲載いたします】

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