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勤労により最上の生活を

コラム『あまのじゃく』1962/10/12 発行
文化新聞  No. 4282


感激! 末の娘が新聞配達を‼

    主幹 吉 田 金 八

 本紙の前田、柳原地区の配達を受け持っているM君は小児麻痺患者で、同君の配達ぶりを見ると誠に痛々しく感じる。車道と歩道の境の10センチくらいの高低も、やっと足を持ち上げて登る努力をしなければならず、こんな身体に障害ある者を新聞の配達に使うとは文化新聞もヒドイと思われるかもしれない。
 しかし、同君は中年になって病状が現れた患者で、どんな思いをしても身体を動かしていなければ、自分の体が退歩して固着すると知っているから、進んで体を動かそうとし、なるべく人の目に立たない方法、時間にできる範囲の労働をしようとし、早朝の二、三時頃から同君の住む前田地内を文化新聞を配達し、隣の柳原地区も自分の区域として、姉さんの子供に配達させ自分が監督し、集金すると言うことをもう10年も続けている。
 姉の子供がこの3月に中学を終えて東京の方に就職してしまったので、その代わりに頼んだ中学生が時折休むことがあると、その地域をM君が配らねばならず、歩行も容易でない彼とすれば人の出盛る8時までかかって、その子供の区域を配ることもあった。ところが、その子供が自転車から落ちたとかで、1ヶ月くらい当てにならない状況が報告されて来た。
 小さな新聞社の社長は新聞を作ることと、運営のやりくり算段のことと、新聞の配達の事まで頭を使わせられる訳である。
 配達の子供もこちらが求めない時にはやらせてくれと申し込みもあるが、「さぁ、入用だ!」という時にはないもので、始めてもすぐ辞めたり、自分が引き受けたところを鼻たらしの一年坊主にやらせて、ピンハネをしようとするようなチャッカリ上級生があったり、もっぱら中学生がやってる新聞配達の世界も、世相の縮図でもある。
 折角やるつもりの子供の1ヶ月の代配とあっては、違う子供を頼んでもまずいし、私の家族の誰かがやるより仕方がない。
 最近ではどこの新聞店も店主が代配をやるのは当たり前で、私は4、5日前の早朝、川寺の方へ行ったら、産経販売店の奥さんが新しい店員を連れて順路帳を手に配達して回っているのを見て、新聞販売店の主婦も容易でないことを知った。
 私の家族と言っても、目下フリーランサーは末の娘が2人だけで、それも上の娘は進学準備で家の事などさせようものなら、学校へ行けないのは親のせいにでもさせられない。
 今朝の食卓で、末娘に「子供が休んで、Mさんが配達で大変なんだがが、お前やってくれないか」とこの親父にしては珍しく下手に出て頼んだところ「やってもいい」と極めて素直に引き受けてくれたのは嬉しかった。
 「〇子ちゃんが言うことをよく聞いたから、今朝は嬉しい話がある。昨夜〇〇〇さんから電話があって、明日にもピアノを取りに来るように、と言って来た。嬉しいでしょう」と女房が言葉を添えた。
 その末娘は最近の楽器ブームで友達がピアノやオルガンを買うのにつられて「あたい・・・にもオルガンを買って」と小学校以来の貯金を全部下げて親父に迫った事があったのを「オルガンなんかすぐ飽きてしまうから、お父さんがうまいピアノの出物を見付けるまで待て」と押さえておいた。
 それがいく月か前、去るところで鍵数が足りないので、大型と取り替える話を聞き、『新しいのが来たら出す』ということで予約しておいて、ベビーピアノがいよいよものになったわけである。
 「〇子ちゃん、嬉しいでしょう。」と女房に言われてはにかむ末娘の顔は誠に前代未聞の図であった。
 おそらく彼女が一生忘れ得ぬ感激であったろう。『勤労によって最上の生活を』こそ、我が家の憲法である。 


 コラム『あまのじゃく』は、埼玉県西武地方の日刊ローカル紙「文化新聞」に掲載された評判の風刺評論です。歯に衣着せぬ論評は大戦後の困窮にあえぐ読者の留飲を下げ、喝采を浴びました。70年後の現代社会にも、少しも色褪せず通用する評論だと信じます。
 このエッセイは発行当時の社会情勢を反映したものです。内容・表現において、現在とは相容れない物もありますが、著作者の意思を尊重して原文のまま掲載いたします】

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