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香港商人の機敏

コラム『あまのじゃく』1962/10/10 発行
文化新聞  Bo. 4280


『商魂』の神髄”香港”にあり

    主幹 吉 田 金 八 

 中里、細田両氏が香港に行って来ての感想談を拝読した。 私も昨年の今頃、香港まで行ってきたので、私が両氏に直接取材すればもっと面白いネタも引き出せたのではないかと思う。
 そのことはまたいずれの機会として、両氏の感想を拝見すると、訪問先の中国人商社の人たちの社交性、如才ない応対に感服したらしいことが述べられていた。
 戦前の日本人は物を売るのに、日の丸の旗と一緒に売ると言った式であった。
 商品を積んだ貨物船、商船とともに軍艦が随行し、日本の国威を大いにひけらかして、この威風のもとに商売を用意した趣きがある。
 いわば明治維新とともに九州中国の政商が、時の政府に取り入って商圏を拡張した図式である。
 両社長の言う香港の商人は中国人であり、その大部分は中共にも台湾政府にも関係しない、華僑と呼ばれる第三の中国人であり、 香港を拠点として東南アジアはもちろん、世界のどこへ行ってもこの人たちは商売を発展させている。
 戦前からこの人たちは国家の威力を借りずに、独自の経済力だけでどこの国にも入り込み、支那街を作り経済権を握っていた。
 支那が一本であった時でこの通りだったのだから、現在二つに分かれて、「アジア大会」であんな揉め事が出来るような状態にあっても、商売に関してはこの商人たちには何の拘わりも支障も来たさないらしい。
 日本の商人、事業家は、ある国が日本商品の輸入に怯えて関税障壁を設けたとなれば、戦前は日の丸を威光に関税を安くするよう抗議し、日の丸に軍艦の裏付けがなくなった現在は、抗議とまではいかないが 外務大臣を通じて障壁を低くするように嘆願する。何でもかでも国家の後押しがなければ商売は出来ないように思っている。ところが、支那の華僑は国家とは関係なしに商人だけの力でどんどん、どこへでも進出する。
 香港は英国の領土で、英国は米国の要請があっても、香港と中国の交易を絶つことを承知しない関係もあって、中共との貿易は自由にできる。アメリカブロックもまた香港とは自由だから、期せずして香港は共産中国と資本米国との最も手頃な交易国ということになる。
 そんな国の色分けは度外視して、高いところから低いところに水が流れるように、表に番人がいれば裏木戸のわずかの隙間からでも、中国商人は「ハイ、今日は」と品物を売り、また買う商魂を発揮している訳で、香港が国際商業都市として戦後膨大な発展をし、英国が虎の子にする理由はここにある訳である。
 今朝の新聞で日本の宝石ブームに目をつけた中国系英人夫婦が香港から1000万円ものダイヤを身につけて羽田に乗り込んできたのが、密輸の疑いで捕まったニュースが載っていたが、この人たちは1000万くらいの宝石はそんなに大仕掛けのつもりではないのかもしれない。
 今、日本はニセ千円札がのさばるほどインフレ傾向にあり、札を持つより万国通貨の宝石を持った方がインフレの被害を避けられると考えている日本人も多くなってきたのかもしれない。そんなところに目をつけることの早いのも香港中国商人の機敏さと言おうか。 


 コラム『あまのじゃく』は、埼玉県西武地方の日刊ローカル紙「文化新聞」に掲載された評判の風刺評論です。歯に衣着せぬ論評は大戦後の困窮にあえぐ読者の留飲を下げ、喝采を浴びました。70年後の現代社会にも、少しも色褪せず通用する評論だと信じます。
 このエッセイは発行当時の社会情勢を反映したものです。内容・表現において、現在とは相容れない物もありますが、著作者の意思を尊重して原文のまま掲載いたします】

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