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飯能電話事件(1)

コラム『あまのじゃく』1951/6/21 発行 
文化新聞  No. 123


心が痛む電話割当の独占

    主幹 吉 田 金 八

 わが身の可愛いいのは誰しも同じことである。我が住む街、我が故郷の文化の向上や発展を願うのも人情の自然である。
 わが身可愛さのあまり5人に5個しか配給のないコッペパンを、夜中にそっとネズミいらずを開けて盗み食いしたら、5人のうち誰かが食べ損じてしまう。
 わが村の田んぼ可愛さに、上流の村が用水を独占してしまえば、下流の村の稲田は枯れ死にすること疑いない。
 個人の盗人は犯罪として罰せられるが、集団の盗人行為や横車不正は、町の為、地方の発展の美名に隠れて見逃されがちである。
 繁栄の名目で町議会の経済的支援を受け、電話の引けた申込者は当然であるが、町の大勢もこれに賛成し、電話委員会のお手盛り配分に不平の申込者も、1000円の寄付を拒んだ正義派も不満の声を高く上げない実情であった。
 もちろん、民主主義は自己のの生活向上に如何に努力しようと、さらに努力の果実を占有費消しようと勝手であるが、それも他人に迷惑をかけず、他人の権利を侵害しない限度においてのみ許されることである。
 飯能町が町費を含めて30数万円の運動費を使って、電通省の上級役人を招待籠絡して、川越電話管理所管内(川越、入間郡、比企郡、秩父郡の一部)80数局に割り当てられた180本の電話のうち、154本を独占した事は、飯能町、特に新設加入者にとっては満足であったかもしれないが、他町、他局は何十本の申し込みに一本の割り当てもなく、この不公平に対して抗議するのも当然である。
 すでに、本紙はこの問題について数回にわたって世論喚起に努めて来た。埼玉日報もこれに同調し、さらに読売が全国版で報道するに及んで、ついに中央の問題となるに至った。


 コラム『あまのじゃく』は、埼玉県西武地方の日刊ローカル紙「文化新聞」に掲載された評判の風刺評論です。歯に衣着せぬ論評は大戦後の困窮にあえぐ読者の留飲を下げ、喝采を浴びました。70年後の現代社会にも、少しも色褪せず通用する評論だと信じます。
【このエッセイは発行当時の社会情勢を反映したものです。内容・表現において、現在とは相容れない物もありますが、著作者の意思を尊重して原文のまま掲載いたします。】

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