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不安心な信用

コラム『あまのじゃく』1953/11/2 発行 
文化新聞  1023


月賦・後払いの仕組みに大きな不安

    主幹 吉 田 金 八

 終戦直後の物資不足時代には肩に担げる程度の品物を持ち運んでも相当の利益があり、皆、こうした担い商人が資金が足りぬために、金を借りるのに高い利息を何とも思わない風潮が生まれた。
 記者もその当時、古着屋から質屋に転じて、1割の利息をお客様から頂いていたが、『物価が騰がったんだから、利息の上がるのは当たり前だ』とお客の方から妙に割り切って1割を高利と思わないのには、こちらが反って驚いていたくらいである。
 会社の月給が遅配になったとか、ちょうど月給日前に実家に不幸ができた、とかの不時の出費の場合、蓄えもないし顔見知りのない人たちが、やむなく臨時に金が欲しい場合、質屋という制度も便利なもので、むしろ知っているところで気兼ねをしたり、腹の底を見透かされる思いをして、時借りをして、返済の時には『お利息は』とも言えず、お礼の多少に苦労するよりも、冷酷な質屋の親父、番頭を相手に大威張りで用立てる方がナンボ心易いかもしれぬ。そのためには一月で1割の利息をまた高くもないということにもなろう。
 さて、商売の資金のごとく、長期日常の資金を高利を以て賄ったとすれば、どんなに利益率の高い商売でもたまったものではない。
 『物が高いのだから、利息の高くなるのは当たり前』というバカバカしいロジックが、それほど変でなく通用しているところを見ると、戦後の日本人の頭もどうかしていることは確実である。
 現在、あらゆる商人、実業家が資金繰りに懸命の努力をしていることはいじらしい程で、物資が豊富になるにつれて利益率は戦前に戻るのは当然であるが、さて荷扱い高は物価の騰貴率ほどに増大させることは、資金の面で許されないことになる。
 昔の呉服屋は、自己資本が3万か5万あれば銀行のご厄介にならずとも、堅実な営業ができたものだが、現在、それと同じ商品を店頭に並べるには物価が400倍とすれば1200万から2000万の資金がなければならない。
 繊維関係は統制で企業合同形式で配給品も扱って、戦争中ひっそりしたような営業を続けたが、配給品横流し等のからくりで、結構の利得は回収した模様のものの、戦後の混乱期に、古着屋の全盛時代を横目で見ている空白があったために、資産の方は物価の騰貴には追いついていない。
 こうなると現在の衣料品店の店頭を戦前並みに飾るには、自己資本の不足はやむを得ないことになり、勢い問屋よりの延払い、または手形取引で資金の不足をカバーしているわけだ。これは衣料品店の場合のみを言うのではなく、あらゆる業態が信用によって対面を保持している状態で、これは社会が現金投げ違いでなければ品物のやり取りが不安な時代から、一応は相手を信用して商売ができるように、安定した状態になったことを意味して非常に結構なわけではある。
 ところが、あらゆる事業商売が、他人の手に金融の手綱を握られているということも、また事業経営とすれば不健全と言わなければならない。
 要は、自己資金と借入金との割合の問題である。あらゆる企業が他人の褌で相撲を取っているような形態になっているということは、日本の経済自体が、戦争による消耗から完全に回復しきれていないのに、外面は戦前に勝る繁栄と見栄を張っていることに由来するのではあるまいか。
 こうした、内容以上に行き過ぎた外形上の繁栄こそ、本当の発展を阻害するものではないかと思う。
 道路は世界一の悪路だというのに、国産、外来の立派な自動車の往来は頻繁である。さて、その自動車もほとんどが月賦で無理して買っているので、月賦が滞って車を引き上げられるのや、成績を上げて新車をさばいている販売店が、月賦が入らないで、販売成績と経営内容が伴わぬのが多い。
 月給取りは安い月給で、見た目は綺麗な服装をして、頭だけはピカピカにしているが、懐中は常にノーマネーで、パチンコの金にも困っている状態である。
 こうした日本の現状を、戦争に負けてもこれだけ復興すれば大したものだとか、負けたのだから仕方がないと中国人の『メイファーズ』式に安易に妥協してしまって良いものだろうか。


 コラム『あまのじゃく』は、埼玉県西武地方の日刊ローカル紙「文化新聞」に掲載された評判の風刺評論です。歯に衣着せぬ論評は大戦後の困窮にあえぐ読者の留飲を下げ、喝采を浴びました。70年後の現代社会にも、少しも色褪せず通用する評論だと信じます。
 このエッセイは発行当時の社会情勢を反映したものです。内容・表現において、現在とは相容れない物もありますが、著作者の意思を尊重して原文のまま掲載いたします】

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