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ぬるま湯から熱い湯に

コラム『あまのじゃく』1953/1/24 発行 
文化新聞  No. 588


国民の厭戦意識はどこまで

    主幹 吉 田 金 八

 竹ヤリや火炎瓶、大勢で自動車をひっくり返して火をつけた位の暴動を理由に、国内治安を守るため為と称して政府は着々と軍備を備え始めた。
 すでに最近では軍艦と名のつくものもいくつか米国から分譲してもらうし、飛行機も用意できたと聞く。今朝の新聞では堂々たる戦車部隊さえ出現した。
 これらの軍艦や戦車には立派な大砲もくっついている。公然と武器を持てない、内緒でやることにはおのずと限度のあるべき国内の暴徒や不逞の輩を相手としての防衛としては、ちょっと戴きかねる大人げないものではあるまいか。
 これは明らかに北辺より本土侵入を企てると想定されるソ連軍や赤い島になりつつあると噂される北海道の治安の為の、いわば北辺の守りと言うべき軍備?で、ソ連を仮想敵国にしての備えである事は明らかである。
 ソ連とアメリカと言う世界を2分した勢力の、アメリカ側に加担して日本が国策を樹てている事は、大東亜戦に破れて、アメリカ軍に本土を長期間占領され、これが占領政策に駆使されて来た日本とすれば、やむを得ない必然であり、いわば「仕方ない」約束である。
 如何にひねくれて見ても、ごまめの歯ぎしりであり、詮無いことであって見れば、下手な嫌がらせをしても無駄なことで、アメリカが日本を放棄して東洋から手を引くまでは、名前だけの独立国の名誉を与えられて、アメリカの望むがままに、兵員を出せと言われれば出さずばなるまいし、弾避けになれと言われればならずばなるまい。今の日本はちょうどかつての満州国みたいなもので、観閲式とか言う観兵式が行われ、特車と称する戦車が驀進し出すし、保安隊と称する軍隊が国家予算の2割を食い出してきた。
 お風呂の熱さも、ぬるま湯からだんだんと温度を上げていけば、大概の熱湯も気づかずに入れるもので、我が国の軍備も、保安隊と言うぬるま湯から知らず知らずに国費の五割も六割もの本格的なものになって行くらしい。
 ここで日本国民の心構えとして大切な事は、今アメリカの要請で再軍備の方向に進んでいく事は仕方ないが、こう言うと一部からお𠮟りを受けるかも知れないが、物事は始めが肝要で、今こそ再軍備反対を強く打ち出すべきだろうが、いかに再軍備反対を叫んで見ても現実は着々と準備されていくだろう。
 問題は、その時に日本国民として、このアメリカの申し入れを仕方ないと思って受け入れるのと、待ってましたとばかりに、むしろ赤化に怯えるアメリカの弱点に乗じて米軍の援助を良いことに、借りられるだけ借り、もらえるだけもらって、昔日の大日本陸海軍の再現の夢を実現しようとするとの二つの行き方が、国民の心の中で相克しているのではないかと思われることである。
 恐るべきは後者の心で、こうした武力に頼って権力を打ち立てようとする事の儚さは、カイゼル、ナポレオン、東条によって立証済みの筈でなければならない。


 コラム『あまのじゃく』は、埼玉県西武地方の日刊ローカル紙「文化新聞」に掲載された評判の風刺評論です。歯に衣着せぬ論評は大戦後の困窮にあえぐ読者の留飲を下げ、喝采を浴びました。70年後の現代社会にも、少しも色褪せず通用する評論だと信じます。
 このエッセイは発行当時の社会情勢を反映したものです。内容・表現において、現在とは相容れない物もありますが、著作者の意思を尊重して原文のまま掲載いたします】

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