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ダンビラ流行

コラム『あまのじゃく』1956/2/28 発行 
文化新聞  No. 2075


総評ゼネスト、保険医辞退

    主幹 吉 田 金 八

 総評が春季賃上げ闘争を宣言、各単位組合が総決起大会など誠に賑やかである。
 太田総評副議長が京都で『要求が通らなければゼネスト的様相を呈するだろう。2.1ストの規模は神武天皇以来の出来事だ』と大いにアジ発表を行って凄みをきかせたのは良いが、政府筋が言葉尻を捉えて、『総評はゼネストを企てている』とはやしたて、日経連などを表面に立て『困るのは全国民』とばかり逆攻勢に出られ、世論もまた賛否両論、必ずしも賃上げ攻勢支持ばかりでもなさそうな傾向を示してきたので、慌てた総評は岩井事務局長をして『あの声明は大きな闘争になるとは言っているが、ゼネストとは言っていない…』と打ち消させて、読売子の言葉を借りれば、=自分で『大変だ』『大変だ』と言っておきながら、実は大したことはないんだと、自ら3月ストの正体を暴露してしまった=という不手際を見せている。ストを誇示することが流行になって来て、先ごろは川口市の国民健康保険医が市立病院の建設拡張に反対して、保健医総辞退の申し合わせをし、当局もまた。 ダンビラの処置に困ったところに、時の氏神が立って、医者の中からも運営委員を出すとか、4階の建物のうち、1階は病院以外の用途に充てるというような。外部から見たら何のための薙刀かと思われるようなウヤムヤの条件で妥協してしまった。
 それでも医師にとってはまんざらの戦果でもなかったと見えて、今度は政府の新医療体系に反対して、埼玉県医師会が絶対反対のため、県下保健医千三百名の総辞職を決議した。ストといえば、労働組合の専売かと思ったら、最近は世相が変わってお医者様のごとき長袖階層までストまがいの戦術を匂わせるようになった。医者も昔とは違って、 税金は取られる、収入も保険患者ばかりでは儲かるどころではない、労働者と何ら変わらないというのが言い分らしい。
 なるほど、昔ほどは儲からないかもしれないが、そうかと言って世間の上位の生活と対面をはっていることは誰もが知っていることで、『我等にパンを与えよ』という見得を切っても、真実感が伴わず観衆がドッと湧くようなこともあり得ない。今度の新医療体系なるものも、役人が机の上でこさえたものだけに、実情に沿わぬ点もあるかも知れないが、その骨子は社会保険の赤字何十億かを政府が背負いきれず、医者と被保険者に足らずまいを補わせる方式であることは間違いない。
 その他にも『いくらかかってもタダだから』という乱診や『患者から取るのではないから』と、気休めの注射などをプツン、プツンと無制限にうって、医者の都合のよい乱療にブレーキをかけようとするところに狙いがあることも判る。社会の有難いことは親保健 の病気の高貴薬を買うために娘が身を売る悲劇を芝居や小説で見ても、保険証だけ持っていけば、生き死にの盲腸炎などの急患が『金はあるか』と医者に白い眼で見られることなしに、手術入院と危機を脱することができるなど、誠に貧しい者にはこの上ない制度ではある。しかし、その半面、虫に刺されても医者、飲み過ぎてだるいにも医者、少し年を取りすぎたから、回春の注射をなんて言うのまで、保険診療で乱診乱療の趣が大いにあることも事実である。
 社会保険という便利な制度に便乗して、日本人が年間に消費する薬の額が8億円にもなんなんとしているとか、まさに薬屋さんが万々歳のご時世ではある。言い古された言葉だが、『これだけ医者が進出して病人が減らないのはどうしたことか』否、むしろ医学博士が増え、医者が手近になった方が病人が増えているというのがおかしい。野蛮な美観と笑われるかもしれないが、医学が進化しても、しなくても生まれるだけの人間は生まれ、死ぬだけの人間は死んでいくことは間違いない。
 草根木皮の演法医学の時代でも、もっともそれ以前のおまじないの時代でも結構人間が死に絶えもせず、 日本人の人口が年々歳々膨れてきたことでも証明できる。
 こういったからといって医薬を軽視しているわけではない。適正な診療は人の幸福に大いに役立つこと勿論で、ただ、あまり医薬万能、保険診療の乱用はせっかくの社会福祉制度の基礎を危うくすると言いたいだけである。
 新医療体系に反対する医師、自分たちの財布の不都合の為の反対をカモフラージュするために、『あなたは被保険者の失費』として国民大衆を引きずり込んで表面に立て様とすることにつり込まれてはかなわない。医者はニコニコ、患者はタダ足らないとこは政府が出せと言って見ても、鳩山さんが自腹で出せる訳のものではないし、国民の納めた税金から賄うだけのこと。その税金もすでに担税力一杯となったとこで、限界にきているのが実情。
 そんなら医者も我慢し、患者も診療の毎に若干の負担は仕方がないのではないかという事になる。
 川口の市立病院反対で味をしめたお医者さんが、全国に先駆けて『保険医総辞退』のダンビラを振りかざしたところは見ものであるが、どうせ引き抜いたダンビラならば、ジェスチャーだけでなく、本当にやってみたら如何なもんでがんしょう。
 抜いたりしまったりも二度、三度となると舞台の竹光ほどにも脅しが効かなくなり、下手をするとダンビラのしまい場がなくなる様では、お気の毒である。 


 コラム『あまのじゃく』は、埼玉県西武地方の日刊ローカル紙「文化新聞」に掲載された評判の風刺評論です。歯に衣着せぬ論評は大戦後の困窮にあえぐ読者の留飲を下げ、喝采を浴びました。70年後の現代社会にも、少しも色褪せず通用する評論だと信じます。
 このエッセイは発行当時の社会情勢を反映したものです。内容・表現において、現在とは相容れない物もありますが、著作者の意思を尊重して原文のまま掲載いたします】

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