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大難が小難

コラム『あまのじゃく』1963/9/21 発行
文化新聞  No. 4573


『二度ある事は‥‥』ことわざに恐れが⁈

   主幹 吉 田 金 八

  昨日の午後、本社のH記者が中山地内の道路上を通行中、後方から疾走してきた自動車を避けようとしてハンドルを切った拍子に、道路に散布してあった小石にハンドルを取られて側溝に転落、 左脛を骨折して永井病院に入院する事故が起きた。
 出先でこの報を受けて、私が対談していた吉田重治郎氏と病院へ同行した時は、医師の処置が終わった後で、永井外科の診察室の補助寝台に添え木をあてがった大きなギプスの左足を投げ出して横たわっていたが、額に処置の際の痕跡が残ってはいたものの、報知を受けた時の負傷の予想より案外軽かったらしい事に安心した。
 本人はあまり口を開きたがらないらしいので、医師と、私より先行したN記者から聞いた状況は次の様なことだった。
 H記者は取材のため自転車で原町の小能別荘から中山方面に行こうとして、安藤材木店工場付近を通行中、後方から来た自動車を避けようとしてハンドルを切った途端に、道路上に散布されていた砂利にハンドルを取られて転落、脇の側溝にはまり、その際左スネを骨折した。
 すぐ脇をスレスレに通った自動車の反対側に倒れたから、足の骨折で済んだものの、これが自動車の方に倒れたら完全に車輪の下敷きにされていたろうとのことであった。
 自動車の方は通行の自転車乗りが、危なげなハンドル捌きだった位の印象を持ったかどうか、それが転落して骨折という事故にまで立ち至ったことも知らずに走り去ったものらしい。要すれば、奔馬にたまげた通行人が気絶したようなもので、自動車にはいささかも直接H記者の身体に触れていないのだから、加害者という訳にはいかない。
 幸い永井外科病院から遠くないので、通行の学生さんを頼んで病院に救いを求め、看護婦さんたちが担架で急行して下さったが、担送も容易でなく、通り合わせたタクシーに乗せて貰って、病院で手当を受けた訳である。
 レントゲン検査の結果は3本ある骨の2本が折れていて、添え木を当てるまでには足を引っ張られたりして相当痛かったらしい。
 処置が済んで包帯が巻かれた状態では、スキー場などで見かける足折れの類で、交通事故の現場でよく見る血や肉が飛び散った惨たらしいものに比較すれば、本人の苦痛は相当であったと思われるが、見る人に痛ましい思いをさせる体のものではなく、大難が小難で済んだと言うべきであった。
 本人も創価学会の信者であったから、この程度で済んだのだと述懐していた。
 骨折は治療が長引くから入院1ヶ月、全治3ヶ月というのが永井先生の診断であった。
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 H記者の事故で、そのついでに私の失敗談を告白する。これはあまり自慢にならぬ事なので、『あまのじゃく』での執筆を控えていたが、私も15日の日曜に九死に一生の事故を仕出かしていた。
 9月に入って健康の状態が回復して割と意欲が出て、この日朝から自動車の手入れなどやっていた。
 小さなネジが車の下に落ちたので探そうとしたが、地面との間隙が少ないので、ガレージジャッキで前輪の片方を持ち上げて隙間を多くして 潜り込んだら、突然車が片方にずれてジャッキが外れた。
 私はバンパーと地面の間に挟まれ、左肩で車体の前の方を支える形になった。完全に体位を伏せられれば、この状態から抜け出せるのだが、自力ではそれもならない。 
 日曜日なので近くに誰もいない。そのうち左肩がポリポリ鳴き出すような気がして、このまま御陀仏かと思った。
 みっともないが『助けてくれ』と大声をあげて人を呼ぶ外ない。
 声を聞きつけて、家の中にいた長女が気付いたが、女の力では車はびくともしない。
 男どもは一人もいない。でも折よく隣の関戸自動車部品店に買い物に来たお得意の人が応援してくれて、やっと私は安全な状態になった。
 しかし、肩の骨が折れてはいないかの不安もあって、そっとそのままの状態で女房に付き添われて佐瀬外科に行った。検査の結果、骨は折れていないことが判って一安心したが、打撲の痛みはまだ取れず、未だに毎日不自由を押して働いている。 あれで片方の車輪でも外していての状態だったら、おそらく私はこの世のものではなかったかもしれない。
 八高線大事故(私は実際に遭遇した)以来二度目の、今度のは本当に不注意からの遭遇事故だが、私は大難が小難で済んだことを感謝している。
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 1週間足らずに社内で二つの事故、これは何かの障りではないかと、女房が心配して、「どこかの神様に見て貰おうか」と子供たちに相談して、男の子にたしなめられたということを聞いた。
 さすがは親父の子であると私は満足した。
 しかし、今日は東京から4トンもある重量機械の引き取りをすることで、次男がすでに出掛けていったが、「運送屋に任せて見ているだけで、近寄ったり手伝いの真似は絶対にするな」と言い渡すことだけは忘れなかった。
 さすがの私も『二度あることは三度ある』と言った『ことわざ』を心の奥底で恐れていることは確かである。 


 コラム『あまのじゃく』は、埼玉県西武地方の日刊ローカル紙「文化新聞」に掲載された評判の風刺評論です。歯に衣着せぬ論評は大戦後の困窮にあえぐ読者の留飲を下げ、喝采を浴びました。70年後の現代社会にも、少しも色褪せず通用する評論だと信じます。
 このエッセイは発行当時の社会情勢を反映したものです。内容・表現において、現在とは相容れない物もありますが、著作者の意思を尊重して原文のまま掲載いたします】

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