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薬マニア病気ノイローゼ

コラム『あまのじゃく』1957/8/12 発行
文化新聞  No. 2633


脳溢血の予兆と女房の銅像 

    主幹 吉 田 金 八

 ある有名製薬会社の広告文句に『中老は26歳から』というのが目についた。
 最近まで50歳以上の更年期の若返りを目的としたホルモン剤の宣伝にこれつとめていたのが、今度は26歳からの若い者を年寄りの部類に引きずり込んで、病気ノイローゼの虜にしようという訳である。
 薬屋の商魂のたくましいというか、図々しいというか、これらの商略につり込まれて、自分から病気をこさえたり、新薬マニアにさせられる大衆の愚こそ哀れと言うべきである。
 常連の様な顔が料理屋で痛飲する時など『あれを頼むよ』などと言えば、仲居は心得顔に新聞、ラジオで聞いた事のある薬を持って来る。
 いずれも肝臓などの薬で、要は酒を飲んでも悪酔いしない薬だそうで、これに調子を合わせて芸者たちが新薬の効能書きをペチャクチャ、座が弾む。
 何のことはない、高い金を払って酒を飲み、その酒が効かないように薬を飲み、 薬屋と料理屋と芸者の稼ぎを助けるのが通人らしいのである。
 高血圧を医者から脅かされた某フルーツパーラーの弟主人が友人と、名医の聞こえ高い都内の高血圧専門病院で治療を受けた帰りに、『古い血を抜いてきたんだから、新しい血を入れなくては』と池袋で大いにメートルを上げて、生きている悦びをたたえ、朦朧として帰って来たなどの話は、現代人が完全に病気マニアに陥っていることを示す愉快な物語である。
 しかし、その反面には新薬を頭からこき下ろすあまのじゃく党も若干なくもなく、記者の友人で七夕の星ではないが、七年も別れていた昔の恋人との巡り合いで、一世一代のチャンスを十分に堪能すべく、一箱三錠の補精薬を500円も出して買い求め、説明書の指示にある1時間前では早く、15分前では遅いという効能書き通りに服用したにも拘わらず、何らの顕も見られず、あたら七夕の一夜を無駄にした体験を語って、新薬を目の仇にしている輩もある。
 記者もこれと同類で、昔今の肺切除の如く一世を風靡した自然療法の信念から抜けられず、『人間には自然治療能力があって、大概の病気は寝ていれば治る』と信じ込んでおり、幸いこれぞと言った難病にも巡り合わなかったお陰で、この信条を押し通している。
 少し仕事の無理が続いて、毎晩ウンウン言いながら寝ているような時、たまたま子供の病気を診に来てくれた医者に、 『疲れた時は血圧はどんな風になるものでしょうか?』など計って貰った事などがあって、翌日女房が呼ばれて、『ご主人も気をつけないといけませんね』など脅かされた事もあったが、『人間死ぬ時には死ぬんだから、無理に病人になるのがものはない』と、折角の医師の好意も退けてしまうほど頑固で通している。
 そうした調子の時には、枕に頭をつけるとクラクラと眩暈がして、『これが脳溢血の症状かな』と思ったことがあったが、ジッとして頭の中がグラグラするのを見守って騒がずに収まるのを待っているが、『俺も死に際に対しても慌てない修練が出来たようだ』と、後で女房に語って叱られたこと等もあった。
 別にどうもせず放っておいたのに、最近はまたまた健康は申し分ない状態に戻っているようである。
 ところが記者と入れ替わりに、ここ2、3年頑強で働き詰めた女房が怪しくなってきた。体がだるくて働くのが億劫になったようだ。たまに会う人が『奥さんやらせましたね。』と言うところを見ると、確かにほっそりし過ぎてきた。
 医者に見てもらうと、血沈が常人になく速い。レントゲンで見ると肋膜に影があると言う。しかし、血圧は極めて低く熱など全然ない。レントゲンはどうでも、熱がなければ肺病ではないというのが記者の見立てで、女房も新聞創業以来記者以上に骨身を削ったので、その疲れが最近人手が増えてきて、気が緩んで出たことは間違いない。
 『少し楽をしていれば、そのうち治るよ。万一の事があったら、文化新聞の犠牲者だから、新聞社の入口に銅像を立ててやるよ』と冷やかしの様にあしらっているが、女房は『子供の成人を見ないうちは死ねない。死んでから銅像になってもつまらない』と大いに生への執念に燃えている。 


 コラム『あまのじゃく』は、埼玉県西武地方の日刊ローカル紙「文化新聞」に掲載された評判の風刺評論です。歯に衣着せぬ論評は大戦後の困窮にあえぐ読者の留飲を下げ、喝采を浴びました。70年後の現代社会にも、少しも色褪せず通用する評論だと信じます。
 このエッセイは発行当時の社会情勢を反映したものです。内容・表現において、現在とは相容れない物もありますが、著作者の意思を尊重して原文のまま掲載いたします】

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