見出し画像

新聞の道

コラム『あまのじゃく』1951/9/21 発行 
文化新聞  No.157


いかなる圧力にも不動!

        主幹 吉 田 金 八

 18日夕刻、夕刊の校正間際で新聞社の忙しい真っ最中の事である。
 消防自動車二台に分乗した約30名ほどの、大部分が消防団の制服を着た一団が当社にやってきた。
 訪問というか押し掛けと言うかは甚だ限界が難しい表現の訪問の仕方である。
 団長格の宮岡氏(宮岡馬之助氏の兄)からいとも慇懃に「今日はお願いに上がりました」ということで、要は新聞社も分村運動に協力してくれとの申し入れであった。
 最近の文化新聞の紙面は反分村的であるとの御見解での御抗議である。文化新聞は別に分村派でも反分村派でもない事は、日々の紙面によって、読者がつとにご承知の通りであるが…。
 それなるが為に、分散問題が登場し本紙の報道が正しいとの定説で、元加治地区にも飯能地区にも急激な読者を増しつつある現状である。
 「区民は不幸」だとの言質で、町長を問い詰め役場に押し掛けたとき、数名倍の人々が手にしていたのは文化新聞ではなかったか。現在飯能町内でどの会合に行ってみても、本紙がいかに大衆から信頼され「文化新聞にこう書いてあった。こう出ていた」とあたかも証拠書類であるかの如くに引用される事は、本紙の光栄とするところでさえある。
 新聞の編集者もしくは記者の主観で大衆を引きずっていくことなどは絶対に不可能であり、そうすることによってその新聞は社会から信用を失い、読者は恐らく減る一方であろう。
 元加治区民の盛り上がる力を伝えたのも文化新聞であり、また今ここにようやくこの分村運動を批判せんとする側の状態を伝えるのも文化新聞である。
 新聞の道はただ1つ「真実の報道」である。


コラム『あまのじゃく』は、埼玉県西武地方の日刊ローカル紙「文化新聞」に掲載された評判の風刺評論です。歯に衣着せぬ論評は大戦後の困窮にあえぐ読者の留飲を下げ、喝采を浴びました。70年後の現代社会にも、少しも色褪せず通用する評論だと信じます。
【このエッセイは発行当時の社会情勢を反映したものです。内容・表現において、現在とは相容れない物もありますが、著作者の意思を尊重して原文のまま掲載いたします。】


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?