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戦略転換

コラム『あまのじゃく』1957/11/26 発行
文化新聞  No. 2736


大陸間弾道弾=開戦即終戦

    主幹 吉 田 金 八 

 陸上部隊の引揚げは予期されるところだが、空軍基地の撤収など思いも及ばず、横田やジョンソン基地の駐留軍労務者の雇用寿命はまだ相当続くであろうというのが両基地に働く人たちはもとより世間一般の見方でもあった。
 ところが、ソ連の人工衛星の打ち上げは世界の戦争様式の大革命をもたらすことは必然で、もはや米国が自らの守りの為に、多数の米国民の兵隊を日本に駐在させて、不自由な思いをさせるがものはなくなってきた様である。
 今後の戦争は全くモスクワとワシントンで大陸間弾道弾にスイッチを入れた途端に開戦即終戦となる種のものと変わるであろうことが想像され、科学の進歩、特に人殺しの科学の進歩の凄まじさに驚嘆するばかりである。
 それだというのに、まだ日本の自衛隊はボロクソなジェット機で墜落に次ぐ墜落、この頃ではさすがの上級司令官も頭をかしげて、演習の中止を発表するなど、全く時代遅れの竹槍戦術の訓練に何人もいない虎の子の飛行士をむざむざと犠牲にさせることは何時になったら目が覚めるのか、全くもってもどかしい次第である。
 こうした米国の已むを得ざるに出た国をあげての戦略の転換は、目下の世界の注目の的として毎日の新聞を賑わしているが、これらの影響は早くも在日米軍基地にもかけ足でやって来た感があるあり、ここ当分は大丈夫だと言った空軍部隊の撤収を予告するかのように、立川基地関係での大量の日本人労務者の解雇予告が発表され、今さらに日本人労務者を浮き足立たせるに至った。
 敗戦国の運命とはいえ、独立国の国内に外国兵が駐留していることの不自然さ、この外国兵に雇用されて生活を立てるということはどう考えても国民感情から割り切れないものがあり、無謀な戦争の落とし子として我慢せざるを得なかったが、『米兵ゴーホーム』は通らなかったが、今度は向こう様のご都合で『日本サヨナラ』になりそうな雲行きとあってみれば、目的を達した喜びに有頂天にもなれず、何か心にかかるものが頭の隅にへばりつくような、変な気持ちにならざるを得ない。
 それというのも宇宙兵器の一足飛びの進歩で、今後の米ソ対立で日本がそのトバッチリをどの程度に被ることになるのか、今までどおり、アメリカに従ってその威光と庇護に甘んじる方法で保身できるのか、政府の首をすり替えて、アメリカ一辺倒の政策を変え、中国やソ連にもよしみを通じて本当の中立的色彩をはっきりするとか、またはアジア連盟を強大にして、米ソ両国のキャスティングボートを握り、両国の世界滅亡もまた避けられる戦争開始を回避するようリードするか、このところ一般の多くはただ興味のために眺めている宇宙兵器の出現も、国民から任されて国の全棟を担う政治家とすれば、思案に余るところであろう。
 政府も野党も真剣に四月総選挙を放送し始めたが、この解散も単に国会議員の保身のためや、自社両党の勢力拡大を狙うためのものばかりではなさそうだ。
 社会党がいくら望んでも与党政府が気が進まれば出来っこない解散が、どうやら近くあるらしいということは、自民党が国際情勢に応じた戦術転換の口実を作るためのものではないかと思うのは少し穿ち過ぎだろうか。 


コラム『あまのじゃく』は、埼玉県西武地方の日刊ローカル紙「文化新聞」に掲載された評判の風刺評論です。歯に衣着せぬ論評は大戦後の困窮にあえぐ読者の留飲を下げ、喝采を浴びました。70年後の現代社会にも、少しも色褪せず通用する評論だと信じます。

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