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ケネディの暗殺

コラム『あまのじゃく』1963/11/24 発行
文化新聞 No. 4627


世界経済への影響が心配!

    主幹 吉 田 金 八

 アメリカでケネディ大統領が暗殺されるという忌まわしい事件が起こって、総選挙の結末で沸いている日本人の頭に冷水三斗の思いを与えた。
 日本の総選挙結果は自民、社会、両党とも減ったと言っても、僅々1名かそこらの数で、民社の意外な躍進、共産党の議席が5名になったと言っても、それは体制に影響するほどでなく、極めて無難な平凡な結末であった。
 これによって池田内閣は「国民は我が党、内閣を絶賛している」とまでうぬぼれないまでも、「まだまだこのままで何とかやっていけそうだ」程度の自信を深めたであろうし、社会党も「あと三度総選挙を繰り返せば、政権担当の頭数を揃えられる」という他愛ない夢はもろくも崩れて、地道な野党に帰ることの反省を深めたことであろう。
 それながら、総選挙の結果についての河上委員長の「敗北を認めない訳にはいかない」との談話は素直で好ましかった。みすみす評決で負けることが判っており、これを妨害するために腕力を使ったり、牛歩戦術とかいう嫌がらせ的な手を使うことは、ヤクザが尻をまくって居直るのと同じような嫌悪を感じるが、あの場合「議席では一つ減ったが、党の総得票数でははるかに伸びた」など、今までの社会党流で言えば何とでもこじつけて負け惜しみ、強がりを言えなくはないところを、クリスチャンらしい純情さで反省を含めた控えめな感想を述べたのには、「社会党もガラクタばかりではないな」と見直した。
 こんな訳で、国内政局もまだ当分は安定だと思ったのに、この突然の『ケネディの死』はショックであった。
 折も折、人工衛星を仲介してアメリカのテレビが日本に即時中継されるという画期的な実験が行われた同時刻に、この大悲報が全世界の電波に乗ったということは悲しむべき皮肉である。
 文明が発達し、月の世界にまで行き来が出来、人類の活躍行動できる世界が無限に広がろうとしている時に、まだ人間は狭い地球上の権力の争奪で人間の命を殺めるような野蛮な行為を止めないのか。特に民主主義の理想国であるかの如く人に宣伝し、人類の中で一番高尚だと言った顔をしているアメリカも、一皮剥げば日本、キューバ、ベトナムと変わりはない。
 何と言っても、日本はアメリカの影響が大きい。ケネディがくしゃみをしても物価が下がると言われる位だから、そのケネディが暗殺されたとあっては、敏感な株価はどう動くかが問題である。
 次の大統領の政策待ちで 低迷で済むか投げ物殺到で大暴落を演ずるか、 丁度23日が祭日で市場が休会で良かった。1日合いをおけばショックも和らぎ、冷静な判断が生まれるから、相場の混乱は避けられる。少なくとも良い材料ではない。アメリカの政界経済がどうこれを受け止めるかは分からないが、アメリカの尻馬に乗る日本には、多少の打撃は確保せねばなるまい。
 白雲社の柳内さんは総選挙が済んだら、株価は値下がると予想していたが、私は選挙だけではそうなるまいと踏んだ。しかし、ケネディの死、大統領が狙撃で倒れるという事態の発生は、今後のアメリカの政策、ひいては日本を含めた世界の景気に相当の影響、特に悪い方の材料が加えられているのではないかと心配される。
 日本の総選挙は「さもありなん、期していたところ」であっても、ケネディの死はキモを冷やすものがある。


 コラム『あまのじゃく』は、埼玉県西武地方の日刊ローカル紙「文化新聞」に掲載された評判の風刺評論です。歯に衣着せぬ論評は大戦後の困窮にあえぐ読者の留飲を下げ、喝采を浴びました。70年後の現代社会にも、少しも色褪せず通用する評論だと信じます。
 このエッセイは発行当時の社会情勢を反映したものです。内容・表現において、現在とは相容れない物もありますが、著作者の意思を尊重して原文のまま掲載いたします】

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