日記と推しのこと

続いた。なんてことだ、続いたぞ。
三日坊主にならないようにしたい。

2学期1日目。
生活習慣が狂っていた人がいきなり早起きして朝食を食べ、学校まで登校するととんでもなく気持ち悪くなるのを学んだ。まぁ吐かなかっただけマシか。

推しのこと

最近「推し」という言葉をよく聞く。
今時のJKは三次元アイドルや二次元キャラクター、果てにはクラスの男子にまで「推し」を作る。
「推し」にされたクラスの男子は一体どう思っているのだろうか。

「推し」に対する感情は、人それぞれだ。
ガチ恋やリアコ、問題になっている保護者面、彼氏、彼女面……まぁどんな感情を抱けどそれは自由だと思うが他人や本人に迷惑をかけることは、あってはならないことだと私も思う。

そんな私だが、二次元キャラクターの「推し」に向ける感情はガチ恋に近かった。同担拒否気味でもあったし、解釈違いも許せなかった。周囲にいた友人も同じような感じだったこともあり、それが特段問題だとも思わなかった。

約三年半前、私はバーチャルYouTuberの大手企業、「にじさんじ」と出会った。
ヒカキンや、はじめしゃちょーなどの有名YouTuberとは無縁の生活を送ってきたこともあり、
初めてにじさんじを見た時、「イカれてる」としか思わなかったのを覚えている。
高校になって、インターネットに繋がることのできる物を持ち始めて、私は本格的ににじさんじの沼へと引きずり込まれた。
今ではネットで公式グッズを注文するまでにもなっている。うーん、お金が足りない。

話を戻すのだが、そのにじさんじという箱自体を推す中で、必然と「推し」となる特定のライバーができた。
1人目は、今も尚大活躍し、ライブ等にも参加する加賀美ハヤト。
2人目は、約1ヶ月前に三年という活動を終了した黛灰。

2名とも男性ライバーであり、顔が良い。それはもう、とんでもなく。二次元キャラクターにガチ恋感情を向ける私が、彼らにも似たような感情を抱くまでに、そう時間はかからなかった。

そんな中、Twitterで彼らに関する情報を拾っていると、やはりガチ恋やリアコといった存在を稀に目にすることようになった。その存在が周囲に迷惑をかけ、本人が配信で触れざるを得ないことになっていることも知った。

だから私は、似たような感情を持つ自分を嫌いになりかけた。自分の好き、が彼らにいつしか迷惑をかけるんじゃないかと。

そんな自分が思いを変えるきっかけになったのは
最推しである黛灰の活動終了だ。
最推しの活動終了に影響されて悲しむどころか自分の思いを変えたなんてあまりないと思う。
自分でも不思議だった。
彼の活動終了を知った時、「あぁそっか」としかならず。1ヶ月の毎日配信も、好きなものだけしか視聴しなかった。
我ながら思った以上に冷めているものである。

私が彼に抱く感情は、果たして本当に恋愛感情なのか?

そんな疑問に結論が出たのは、
彼が恐らくVTuber界隈に留まらず、配信者界隈でも初であろう「生前葬」と称された凸待ちを行った時である。
開始当初は、60人を目処として始まった凸待ち。
結果としてその人数を大幅にオーバーする100人近くの凸者が訪れた。

にじさんじの同僚、他企業、個人勢のVTuber、界隈が異なる配信者。
はっきり言ってしまえば、いや誰やねんお前状態。
にじさんじのライバーはともかく、知らないVや配信者が出るわ出るわ。
そして本人はいつも通りの淡々としたしゃべり口調なのに、相手が涙声、という状態の凸を幾つも見た。

あぁ、うん、これは彼の人格故のものだ。

直感でそう思った。
配慮の鬼と言われた私の最推しは、表でも裏でもオンでもオフでも、鬱になろうと、配慮の鬼だったのだ。
自分よりも他人を優先し、その場の空気を読み。
自分ができる立ち回りの最適解を行動に移す。

「配信者」に向いてないんじゃないかと言われた最推しは、誰よりも「配信者」に向いていた。
生粋のエンターテイナーであり、それと同時に人として最高の人格を持つ人だった。

それを実感して、私はやっと涙を流した。
黛灰という存在が終了することを惜しんだ。

私は彼に恋愛感情を抱いていたわけではない。
人間としての尊敬や憧憬を抱いてたのだ。
彼のようになりたい、と。 

…まぁなれやしないだろうけど。

大分推し語りをしたな。
ちなみにこれは推しフィルターなるものがかかっている私の考えなので、彼に関して批判を抱く人はその考えを尊重して欲しい。考え方は人それぞれ。何十万という人が一貫した考えを持つことなんてないのだから。

……こんな長文を書くのに1時間もかけて、
明日の課題が終わっていないってどういうことやねん。


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