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【エッセイ】palace town

お母さんが旅立った、病気だったみたい。

昭和42年

いつも一緒に居てくれたわけじゃなかった、学校に行く時も寝てるし帰って来てもお化粧中、すぐに舞台でお仕事。
でも朝ご飯も夕飯も1人じゃなかった、色んな人が出たり入ったり凄く賑やか淋しくは無い。でもひとりぼっち。
お母さんと何話したっけ?思い出せない。

よく分からないけど、今までと変わりない家で寝て学校にも行って何も変わらない生活?
何でだろう?
雪が降って来た又長い冬が始まるんだ。

お母さんが亡くなってあっという間に4年、世話になってる家の人に修学旅行に行かせて貰えて有難うの挨拶?別に行かなくても良いのに。いつまでここに居ても良いのかなぁ?

中学生になって、学校から帰ると舞台の受付の様な手伝い、以外と楽しい。色んな人がソワソワしながらやって来る。いつも一緒にご飯食べたりしてる女の人達が舞台の上だと別人みたいに綺麗。
私も卒業したら舞台に上がるのかなぁ?チョット心配。
学校楽しく無い?友達って感じの人居ないけど仲間はずれでも無い、みんな私の事どう思ってるのかなぁ?

もうすぐ卒業式、終わったら伊津に行くみたい
舞台に出なくても良くて安心した。一緒に来たお兄ちゃん的な存在のアイツの視線が気持ち悪い、仕事の時以外ここに居たく無いと思ってる。

仕事の時以外アイツの視線が嫌で…毎日ブラブラしてたら車持ってる友達ができた、初めての友達ガラ悪いけど面白い人達で楽しい。

ヤバい油断した、爆睡してたら布団の中にアイツが入って来てる。
怖い、どうしよう?
夢中で逃げて上野行きの電車に乗った、長岡に帰るしかないと思ってた。君いくつ?突然話しかけられた警察官だ、どうしたら良いかわからなくて『私7歳の時にお母さんが死んで、それから今まで一緒懸命に生きて来て…』泣いていた。
警察官も渋々納得してくれて特急ときに乗る事に成功。長岡まで3時間半ながいなぁ〜。

世話になってるお袋さんに、事情話したけど…それほどでもない感じだった。自分の息子がした事なのに、私が思わせぶりだったんじゃないかと思ってる感じの様だった。
すぐに戻されてしまった。
何となくやり過ごして半年、やっと長岡に帰れる事になった。
友達と離れるのは、さみしい。

長岡に帰って来て姉ちゃんと呼んでる人のスナックで働くことになった。カウンターだけで10席くらいしかない小さなお店、姉ちゃんと私の他にもう1人始めは、緊張したけど浴びるほどお酒飲んでなんとかやってる。
お客さん達は、口悪いけど優しい人が多い私の事気に入ってくれる人も増えてきて楽しくなってきた。年配の人が多いから好みの男は、滅多に来ない。

働き始めて2年グイグイくる男、週4で来て毎回結構使っていってくれる。付き合っても良いなぁ?って人ができた。姉ちゃんにもきちんと付き合うって挨拶してくれたけど…
姉ちゃんは、不機嫌。
付き合い始めても同じペースで通って来る、帰りに彼のマンションに行って朝帰るって生活。
凄く楽しい。姉ちゃんも売り上げが悪くなるわけじゃないから何も言ってこない。

幸せってこんな感じ?って思ってた。
だけど最近同じ位の年のお客さんが増えてきた、皆んな金払いの良い男達。良いなぁ?って思う男ができちゃった、どうしよう今の男とも別れたくない。仕事終わった後何人かで飲みに行って流れでホテル。初めての浮気、楽しくて罪悪感は無かった。
こんな事を繰り返して彼氏にバレないわけがない、問い詰められたけど認めないまま別れた。浮気相手と付き合う事もなくお互い良い遊び相手くらいな感じで遊んでた。
少しすると免許取消しになった男がバーテンとして入ってきた、小柄で愛想の良い男で年も近かった事もあってすぐに仲良くなった。
届は出してないが妻の様な女と同棲してたが、仕事終わりにたまにホテルに行く様になった。私は、遊び程度に思ってたけど向こうは本気になったみたいで少し重かった。

何で嫌な事はいつも突然なんだろう…住んでた家が火事、あまり帰っていなかったし思い出の物もそれほど無かったけど何枚かあった写真が燃えてしまった。
悲しくないが、又何か無くなったって思った。

住む所は無くなったけど、みんな毎日店に出てる
私は毎日彼のマンションから通ってる、浮気相手と会う機会は減って来てる。
半年もすれば新しい家ができるらしい舞台は、やめて喫茶店を始めるみたい。

お袋さんと一緒に住んでる男、修学旅行のお礼の挨拶させられたヤツが市議会議員で、誰が来ても良いように喫茶店にしたみたい。
実際家建てるお金ヤツが出すらしい。私には関係無いけど部屋は作ってくれた。

毎日があっとゆうまで、いつの間にか家もできて時々帰るようになった。
彼氏とも何となく会わなくなった、お互い遊びたい盛りだから喧嘩しなくても別れられた。
育ててもらったから給料が安くても文句言えない、それにしても水商売で12万円安すぎる。
この頃から自分の店を持つ事が夢になった、今まで夢なんて思ったこともなかったけど。
頑張れた。

昭和の終わり頃、景気が良く店は毎日大繁盛
羽振の良いお客さんの中で、気になる人ができた
運送会社の長岡営業所の専務、凄く口説かれた車も毛皮も買ってもらった。千葉に家族が居たけど一緒に住もうと言われ家を出た。

店からは、少し離れるけど広めのマンションで暮らし始めた。ずっと飼いたかった犬も飼い始める、すっごく可愛い子供ができたみたい。
でも幸せはそれほど続かない…会社に問題が起きて給料は半分以下に。
千葉に帰ると思ったけど、帰らなかった。
店もお客さんが減ってきた。姉ちゃんにやめて欲しいって言われた。
ラッキー!私からは、絶対言えないから。

カウンターしかない店で働いてたから、もっと広い店で2年とゆう約束で働き始めた。
新しいお客さんも出来て毎日楽しかったし金も貯まったから2年なんてすぐだった。

やっと自分の店が持てる頃、新しくできたビルができた、そこに決めた。
前に働いていた店で知り合った年下の女の子にスタッフ集めに協力してもらって、オープンできることに。
2年間働いた店で、良いお客さんが沢山できたから連日満席…金庫から一万円札が溢れてる。
そんな時姉ちゃんが子供2人連れて突然夜逃げ、色々な人が私の所に聞きに来る。
早めに辞めさせてくれて良かったと思った。

仕事は順調だったけど彼氏は、仕事もなくヒモみたいな生活。
段々鬱陶しくなって喧嘩ばかり。他に好きな人もできたし出ていってもらった。
今度の好きな人は、わがままな大工。

お客さんでもあり友達でもある不動産屋から、分譲マンションを勧められ買うことに。
初めての高額の買い物で緊張。2階の角部屋犬の散歩に出やすい階段脇の部屋だ。
店も順調、好きな人の影響でゴルフも始める。あまり上達しないけどゴルフがらみでお客さんも増えた。彼氏のわがままに振り回されてながら、色々な人に可愛がってもらって人脈もでき、わがままだけど美人な名物ママと言われる様に。

店も広めでゆったりとした雰囲気の所に引っ越し。3階だか、変わらず今までのお客さんがきてくれる。順調だと思っていた。

中越地震
出勤の支度中、揺れがおさまって犬と一緒に外に急いで店を見に行った。ドアを開けると酒の匂い、棚からボトルが落ち割れている…その時2回目の地震、片付けるのは諦めた。
5日位電気もガスも止まって、店も営業する見通しも立たず片付けをしながら犬と一緒にマンションに引きこもって過ごした。

世間も落ち着いて来て営業始めたが、暇な日ばかり。まだ飲みに行く気になる人は、少なかった。
貯金を崩しながらの営業なんて長く続かない、何人かに借金もした。

少しづつお客さんも戻って来た頃、長く働いてくれていたスタッフが次々辞めてしまう。そんな時…昔住んでた家の喫茶店でバイトしていた子から働きたいとゆう連絡が。
久しぶりだしランチする事に、保育園に通う子供と旦那と3人で暮らしているが、離婚するのに金が必要らしい。週3で雇う事に、経験上お金が目的な子は、休まない。

案の定、休む事もなく馴染むの早かった。私の気心が知れてるせいもあるけど、使いやすかった。
以前の様では、無いけど売り上げも上がって来て借りたお金の返済も段々終わって来た。やっと貯金ができる位に。

彼氏とは、別れたけれど忘れられなかった。たまに店に来てくれると嬉しくて、わがままを聞いてあげてしまう。夜中に呼び出されても行ってしまう。好きだったし寂しかったのかも。

店のスタッフも安定して、昼のみに付き合ってくれる子もできた。
女の友達が居なかったから、今までにない感じの楽しさだった。
平穏な毎日は、やっぱり続かない…大好きで家族でもある犬の具合が悪くなった、毎日点滴に通った。
半月位でお別れの日が来てしまった。どうしても出なきゃいけないパーティーに出た後店には、行かず最後を看取った。毎朝日課の散歩も行く必要もなく、起きると二日酔いのままビールをあおった。
ずっと酔ったままで店に行き、閉店後も飲みに行き起きたら又飲むとゆう毎日。

4月体が悲鳴をあげた。倦怠感咳をすると吐血、結核だと思うが病院に行けば店を閉めなければ…と考えると行けなかった。
タバコを吸うのも辛く、咳ばかりしているとお客さんに病院を紹介されて次の日診察に行く事に。
診察してもらうと、すぐに日赤に紹介状を持って行く様に言われる。下血もしていて肝不全即入院だった。

スタッフにマンションから入院用のバックを持って来てもらい、これからの店の営業を伝え入院スタート。この夜記憶は無いが、後に聞いた話だと、下血もひどく肝臓の機能低下によってアンモニアが解毒・分解されずに脳に回って脳に障害をおこし昏睡状態に。
2日後意識が戻り、万が一の時のため急いで弁護士に遺言状を作ってもらう手配。

毎日スタッフが入れ替わりで見舞いに来てくれる。看護師さんに“家族が居ても一回も見舞いに来ない患者さんも居るのに、毎日こんなに見舞いに来てくれるスタッフが居て幸せね”と言われた。感謝感謝。1ヶ月後輸血や点滴のおかげで少しお粥が食べれる様に。
その後少しづつ食べれる物が増えて、食べたい物のことばかり考え食べ過ぎてお腹には、腹水が溜まり足はむくみ過ぎて歩く事もできず、脳にアンモニアが回って昏睡状態。こんな事を何回か繰り返し、みかねたスタッフに、このままじゃいつ死んでもおかしく無いと言われて次の日から面会謝絶、入院食の他に水も500mlだけの生活が始まる。
利尿剤のおかげで足のむくみも腹水も無くなってきた。

今日は、大好きな長岡花火わがまま言って部屋から看護師さんと一緒に花火を見た。綺麗だった。
状態は、良くなった眠い日が増えてる眠れば良くなると思っていた。
お盆が終わった頃スタッフが2、3時間位なら外出許可が出たから、無くなった犬とお母さんのお墓参りに行こうとお花を持って車椅子で乗れるタクシーを待たせていた。
入院して初めての外出、墓参りを済ませて百均で買い物して帰った。
楽しかった。

毎日眠い、寝れば良くなると信じていたのに外出から一週間後…朝からどこかわからないが痛くてたまらない。昼過ぎに痛み止めを入れてもらったけど痛くてたまらない。
夕方スタッフが来てくれた、意識は無かったがモルヒネを入れてもらったらしい。
夜になっても痛くて、夜中も痛くて朝方痛みが無くなって眠くなった。
スタッフみんなが呼んでる気がする、でも眠い目が開かない眠い。

なんだかみんなに、ありがとう。




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