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寛容な世界を創る出口

今朝娘が、朝ご飯に頂き物のカステラを食べることになり、「食べ師になるんか?」とカステラを渡しました。「そうやね」とカステラを受け取り、食べ始めた娘が、カステラの底紙をめくろうとしていたので、「剥き師になるんか?」と尋ねると、「お母さん、はよすずめの戸締まりを見さい」と言われました。私の癖をよく知っているできた娘です。

娘の中学校は、学年ごとに2クラスあります。3学期に入った頃から、次のクラス替えを気にしていて、先生に不安を吐露したところ、「半分は違う人で、半分は新しい人やけん」と説かれたらしく、「何を言いよるんや」と思ったそうです。先生にそれならば全部違う人になる計算だということを伝えなかったのか聞いてみたところ、「面倒くさい」とのことでした。「お前はほんっと話しを聞いてないのー」が口癖らしく、そのような流れになったり、先生の過ちを指摘して印象が悪くなったりしては面倒くさいという理由からでした。

娘は人の過ちを多目にみることができる一面をもっているようです。

「不適切にもほどがある」の最終回でオールキャストが歌っていたのは「寛容になりましょう」「多目にみましょう」という素敵なメッセージソングでした。

先日職場で、明日は人手が少ないから煙草休憩をとられては困ると真っ当な訴えをされた方があり、巾着力ということばを思い出せて本当によかったということを書きました。
次の日、その方は興奮した面持ちで、「あれだけ言ったのにあの人が煙草を吸いにいった」と管理職である私に報告をしてきました。

また巾着力ということばを思い出したのですが、これは対応しなければと、「そうでしたか。それはそれは。あれですね。」と、真摯な態度に努めながら話を聞きました。ただ、私としては、諸々含めて煙草を吸いに行った方の判断というのも、なんとなく理解できる気がしたので、最後に「まぁ、昨日のことは多目にみましょう」と伝えました。

寛容になりましょう、ということばより、多目にみましょう、ということばの方が、貴様の器量の小ささを指摘する感が少ないような気がして、使う分には私好みであります。

それはさておき、多目にみましょうとは伝えたものの、訴えの真っ当さがある以上、煙草に行ってしまわれた方への忠告もせねばなりませんでした。

そして、今朝、煙草に行ってしまわれた方には…と続くわけですが、話をまとめるとマジでお前ら大人やろがいと思う、というわけです。

訴えた人も、訴えられた人も、私より少し年上の、立派な大人なのです。
「行かせてくれ」「やめてくれ」どうして伝え合わないんだ。と、私は思います。言わないから、言えないから私は介入しなければならない、それが仕事なのでしょうが、こういう類の仕事が一番嫌いです。

双方多目にみるだけでは務めを果たしたことにならず、双方と話をしなければなりません。

私は、絶対に許されないこと以外は、多目にみたいのです。テンションを張りすぎると、ろくなことはありません。繋がっていた糸が切れてしまうこともあるんでしゅ。(た、たらちゃん?)もちろん、綻びすぎたら引き締めなければなりませんが、ほら、言われなくてもできる人、言われてもできない人、仕事に熱量がある人、そうでない人、人それぞれじゃないですか。仕事という軸だけでみると、優劣はあるのかもしれません。不平等もあるかもしれません。ですが、ポテンシャルやモチベーションの一致というのは、ありえないものだと理解しないといけない。それでも同じ船に乗った同士なのだから、多目にみながら補ったり助けられたりしながら、やっていくしかない。見ないといけないのは、同士の粗相でなはない。すずめの戸締まりです。

そんなこんなの、報酬改定あり、新学期スタートあり、なおかつそういった類の終わりない問題があり、鬱々とした4月。
今朝メイボができていたから、さっきまち針でぶっ刺してやったよ〜〜〜〜ん。
おっほほ〜〜〜〜ん。
うまく刺せず血が流れたから、一旦やめて、また明日ぶっ刺してみるよ〜〜〜〜ん。
おっほほ〜〜〜〜ん。

今日、ご利用が最後のご利用者様があったので、保護者様に、「彼がまだ小学1年生の頃、初めてのプールの日に、水泳バッグに入っていたのはお母さんの水着だったということを聞いた衝撃は忘れまい。彼にもお母さんにもたくさん笑顔をいただきました。ありがとうございました。」とお伝えしました。

伝え合える、許し合える、笑い合える一年になりますようにと思いますが、絶対無理に決まっています。

だからこそ。

思い出そう巾着力。
最後には引き締めよう、括約筋。

そこには寛容でいられるか、寛容ではいられないかを隔てる出口がある。

〜集え閉じ師ども〜

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