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梅雨と父

梅雨に入った。当たり前のことだけど、空気のまとわりつくような重たさが季節のうつろいを感じさせる。
それは、父が若かりしころのわたしに植え付けた呪縛のようだ。

しとしとと降る霧雨のような。
それは、どこに動いていても、忘れてはいけない決まりのような。

父はもう80歳も半ばで、いろんなことを都合よく忘れている。うらやましい。そして都合良く思い出す。
そんな、どこにでもいる老人だ。ちなみに父の通院で仕事を午前中休みにした。

 でも、30年も前の、思春期の娘にとっては父は外の世界とつながっている絶対的な存在だった。少なくとも我が家では。
 高卒で働き出して、大学に行きたかったが経済的な事情で行けなかった父にとって、わたしという娘は、その頃良くあった「自分のできなかったこと」を実現させてくれる「代わり身」だった。

 そんな父は、ある種の期待を込めてわたしを育てた。自分が欲しかったものを、娘に手に入れてほしいという期待。だから教育に関することは父の担当だった。

 思い返すと、大変だった。算数が苦手なわたしは父の前で宿題をしなくてはならなかった。それが終わると市販のドリルや通信添削の教材をしていた。もちろん算数だけでなく、国語や他の教科も。テレビが見たくても終わるまでは禁止だった。
 悪い点数を取ると、父は悲しそうな顔で「もっとできる」と言った。勉強は苦手ではなかったが、たぶんそんなに好きではなかったはずだ。そんなことよりも本の世界でお姫様になったり、世界中のいろいろな国で起こっている空想上のお話の方がずっとわくわくさせられる出来事だった。

 いま父は不眠症で、夜は睡眠薬なしでは寝られない。その薬の管理をするため、そして投薬を適切にするため、毎月一度通院介護をする。小さくなった背中、細く顎が尖った顔を見ると、老いを実感する。この存在が絶対だった頃。歯向かうなんてことは面倒で、怖くてしかたなかった頃。
 梅雨の空気感のように、今も親子という名のしがらみがまとわりついている。




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