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36. 私にはできない。

さらに、1ヶ月ほどたった。


その日は、蓮は半休。
朝からふたりでホテルにいた。

その時だ。

珍しく私の電話が鳴った。

夫だ…。

しばらく携帯を眺めていたが、今は無視できない。
仕方なく、人差し指を口の前に立てて、蓮の顔を見ながら電話に出た。

内容は忘れたが、その時の私の受け答えで、蓮に私が離婚しようとしてることがバレた。

『あこさん、どういうこと?なんで?
まさか、オレのせい?』

「オレのせいじゃないよ。オレは、全く関係ないから、安心して。」

『でも……。』

「これは、私と夫の問題だから。
この事については話したくない。」

そう言って、蓮の隣に寝そべった。
彼の腕をひっぱって、私の頭の下に入れ、彼の方に体を向けた。

なのに、蓮は天井を見たまま、動かない。
そして、あろうことか、私に説教を始めた。

『離婚なんてダメだよ。子供がいるんだよ。そんな無責任なことしたらあかん。』

……。

私は黙ったまま起き上がり、服を着始めた。

『あこさん、考え直した方がいい。結婚は、好きとか嫌いの問題じゃないでしょ?家族でしょ?子供の為に、家庭を守らないと。』

それが、浮気を繰り返す男の言うこと?

笑えるし。

実際は、笑うどころか、ムカついたけど。



でも、確かにその点は、蓮は偉いと思う。

以前、元カノとの浮気が奥さんにバレた話を聞いた時、その瞬間は、こいつ最悪だ!って軽蔑したけど、今は、それは訂正する。

むしろ、あっさり、奥さん子供を捨てる男じゃなくてよかったって、本気で思う。

私に対しても、夢を見させるようなことを一切言わないのも、私にとっては、むしろ、それが誠実な男なんだと思う。


不倫がバレた後。もちろん、自業自得とはいえ、針のむしろの毎日だっただろう。

毎日、奥さんのチェックに耐え、ぞんざいに扱われても文句言えない。

冷め切った夫婦関係。

それでも、その枠を守った彼を、今は尊敬する。

冷えた家庭を修復する努力がどれほど大変なことか知ってるから。
いつからか、その努力をすることさえ辞め、今、そこから逃げ出そうしてるのは、私だから。


私には、出来ない。

私は無責任?

そうだね。

そのとおりだね。


「何?私に離婚されたら困る?重く感じるんだったら、あなたとも別れるよ。」

『そんなことを言うてるんやない。あこさんの為を思って言うてる。離婚して、どうやって生活するねん。』

子供の次は、お金の話。

みんな言うことは同じ。

私の母親ですら言う。

『りょうちゃんはATMや思うて我慢しなさい』

それが嫌や!って言うてるのに、誰にも伝わらない。そう思うのは、私がお金に苦労したことがないからだって言われる。本当のお金の大切さを知らないから、そんな綺麗事が言えるんだって。


私は蓮に、初めて自分自身の話をした。

私が物心ついた頃は、父はいなかった。

母は、旅館で住み込みで働いていて、旅館の従業員室で母とふたりで暮らしていた。
だから、私の幼い頃の記憶は、あの旅館から。

他の従業員の子供と兄妹のように育ち、アルバイトのお姉さん達や、厨房のおじさん達に遊んでもらっていた。いつも周りにたくさんの笑顔があって、とても楽しかった思い出。

でも、私ひとりでも育てるのが大変だったらしく、何があったか詳しくは分からないが、小学生になる前に、父が迎えに来た。そして、それからは、両親そろった一人っ子。

急にひとりぼっちの毎日になったけど、それでも大切に大切に育ててもらった。


でも、すごく覚えている。

母がしょっちゅう泣いていたことを。

こっそり見に行くと、いつも言われた。

『あんたの為に我慢してるのよ。』って。


夕飯の最中、きまって喧嘩が始まる。食器が割れ、おかずが飛び交い、母が裸足のまま出ていく。父は割れた食器を片付け、私は壁に飛び散ったポテトサラダをふきとってまわる。
ご飯がカレーの日は、頼むから今日はやめてって思ってた。

そんなに、喧嘩ばかりだったら別れればいいのにって小学生ながら思ってた。

中学生になると、母が毎晩、どこかに出かけていくのに、それに対して何も言わない父にイライラしていた。

なんで、離婚しないのか、不思議で仕方なかった。

母も父も、嫌いだった。

「絶対に母親みたいになりたくない。」

それが、私の将来の夢だった。


大人になり、人の親になった今は、同じ大人として母のことも父のことも理解できるし、感謝してる。

母のいうとおり、我慢してくれたから、何不自由なく育ててもらえたのだろう。

でも、、やっぱり、私には出来ない。

子供が大人になるまでの我慢なんだろうけど、何かあった時に、子供達のせいにしてしまいそうで怖い。

ずっと両親の喧嘩を見てきたから、私は子供の前では、絶対に夫に逆らわない。

子供の前では、仲のいい夫婦でいたい。

偽物でも仮面でもなく、本当に仲のいい両親になりたかった。


それを望むのは、やっぱり、綺麗事なのだろうか。それでも、笑顔よりお金を選べって言うの?


「卑怯だよね?こんな話をするのは。」

でも、案の定、蓮は、それ以上何も言わなくなった。

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