半ば領土侵犯

母にあげた本がまとめて紐で結ばれていた。どうやら売って生活の足しにするつもりもなく、ゴミとして捨てるらしい。そしてなぜか、置き手紙。若い人には良いかも知れない、私は今までの生活を変えるのはイヤです。これを見て、ゾッとした。不幸にしがみつく人とは、まさにこういう人のことだ、と思った。何も、今すぐにこの本を読んで、生活を180度、変えてくれ、等とは誰も言っていないのだ。今の自分を変えるか、変えないか、これらの本の内容を受け入れるか、受け入れないか、0か100かでしか、考えられないのだ。いかにもADHDっぽい、というか。いや、何か別の症状を思わせる。このままでは損をする、と分かっていながら、実は分かっていないかもしれないが、今までのやり方に固執する。実は、幸福とは、変化することでもある。体を動かせば、気持ちいい。芋虫が蝶になれば、ハッピーに決まっている。たぶん、本の内容を受け入れることは、彼女にとって、半ば領土を侵犯されるような、気持ちになるのかもしれない。自分が絶対100正しく、それ以外の考え方はゴミなのだ。恐らく、内容は読んでいないだろう。読んで、自分が変わってしまう、という恐怖もあるに違いない。それは、彼女にとって、芋虫の領土を捨て去ることで、耐え難いことなのだ。介護の仕事がつらい、誰も助けてくれない、と言いながら、今の生活を変えるのはイヤ、と堂々と言えるのだから、もはや彼女の精神は分裂している。どんな学者や医者の言うことでも、彼女の頭をすり抜けるだろう。これが今の彼女の実存である。しかし、実存は構造に規定される。従って、断捨離や片付けなどで、環境を変えたり、食事を変えることで、彼女の実存も少しは変わるはずなのだが、それを受け入れてくれないのだから、どうしようもない。公園をぐるぐる走るのもけっこう邪魔なんだ。そもそも、ランニング用に作ってないし、勝手にランニングは困ります。ランニング税です。例えば、宝くじで一億円が当たったら、彼女も、今の生活を変えるのはイヤ、等とは言わないだろう。まさか、一億円を紐で結んで捨てるとは思えない。しかし、医療費にしても、障害者年金にしても、他の国民が納めたお金である。それで、今の生活を変えるのはイヤ、等とのたまえるのだから、恐ろしい話ではある。結局、困ったら、国がなんとかしてくれる。国が何もかも、老後や障害者の面倒を見ようとするから、こういう勘違いを起こす人がたくさん出てくる。とも言える。なんぞ、いかにも頭の悪そうなDQNが、公園で堂々とタバコを吹かしておった。知的障害者みたいな子分を連れておったが、何やら怪しげな商売をやっていそうである。チクっておくか。なんぞ、公園トイレに入ろうとしたら、ピンクシャツの爺が、獣の雄叫びみたいな、ぼぇッ!みたいな、くしゃみしおって、ビビった。ゆ、る、さ、ん。またしても、ヒューマンビートボックスおるな。本当にリアルで、ヒューマンビートボックスだから、小銭を入れたら、ずーっと、やってるかもな。デジタル社会に適応できないばっかりに、老人の引きこもりが増えるかもな。いや、既にその兆候はあり、それが汚部屋であり、空き家であり、孤独死の現場であろう。そもそも、彼女の精神は、ずーっと、新興宗教に引きこもってきた、とも言える。まぁ、所さんはいつもなんとかしてくれるか(笑)よ!常会社年金!😁

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