女性客の心配

 彼は心底驚いた。友人から金の無心をされたのだった。

 彼はタクシー運転手だった。同僚のタクシー運転手が50万貸してくれと言ったのだった。

 彼は家族がなかった。独身貴族だったのでお金には多少の余裕があった。裕福とは言えなかったが、貯金が1000万あったし、50万ぐらい融通することは可能だった。しかし、何も聞かずにただ50万貸すほどその友人とは仲がいいとは言えなかった。タクシー運転手なので、同僚とは言っても別の車を運転していたので、会うのは朝の朝礼と帰りの納金の時だけだった。

 しかし彼は73歳だったので、もうその友人とは30年以上の知り合いだった。

 彼はその友人になんの金だと問い詰めた。貸すか貸さないかは聞いてから決めると言い放った。少し冷たいかなと思ったが、50万といえば大金だ。彼はそこまでお人好しではなかった。

 彼の友人が言うには、息子が覚醒剤に手を出して警察に捕まってしまい、保釈金に50万いるということだった。

 彼は手が震えた。なんだってそんな親不孝なドラ息子のために彼が50万用立てなくてはならないのか訳がわからなかった。

 しかし、その友人は本当に焦燥していた。彼より
10才ぐらい年下のようだったが、髪はほとんど白髪で痩せていた。そして、誰にも言わないでくれ。頼む。バレたら仕事もクビになるかもしれないと涙を浮かべるのだった。

 彼は心底腹が立った。彼ならそんな金はないと突っぱねて息子をブタ箱に放り込むのにと心の中で思った。そしてこんなやつと関わり合いになったらこっちもヤバいんじゃないかと怒りに似た心境になった。

 彼はどうしたものかと考えながら仕事はしなければならないので返事を保留にして車に乗って仕事をした。

 流していると中年の女性が手を挙げているのが見えてその女性を乗せた。彼ははじめはお天気の話などをしていたが、その女性が悪い人には思えず、また、九州の母親の面影と重なって見えたため子どものように今の心境を吐露してしまった。

 友人の息子が覚醒剤に手を染めて50万いるらしいんですよとその何も関係ない女性のお客さんに言ってしまった。

 するとその女性はご友人の息子さんの身体が心配ですね。と言ったのだ。

 彼は狼狽した。彼はお金のことばかり考えていたが、確かにその息子の体調はどうなっているのだろうと思った。覚醒剤を使うと幻覚が見えたり脳がおかしくなってしまうことぐらい彼も知っていた。彼は急に恥ずかしくなった。

 彼はその女性客を下ろすと銀行に行き50万を下ろした。そして友人に息子を叱ってやれよと声をかけて50万円を手渡した。

 ちょうど3月の終わり年度末で道は混んでいた。新入社員が新しいスーツで働く時期だ。あの50万のことは忘れようと彼は思った。

 桜の花びらが風に舞い側溝にたまって心地よい湿り気が辺りを包んでいた。彼はもうそろそろ仕事も引退かなと思いながらアクセルを踏んだ。

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