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カバー小説/ポロロッカ

まずは、以下のふた作品をお読みください。
この「流れていくもの」に「浮かんでいる」の素材をトッピングしてカバー小説を書きました。

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あれは私が10歳の頃の話だ。

父は小説家だったらしいが執筆している姿は一度も見たことがない。
母が朝から晩まで働きに出ている間、使われなくなった父の書斎で私と父はよく時を一緒に過ごしていた。

ガタガタと硝子の震える木枠の窓を父が少し開けるとツンとした匂いが鼻を刺す。

窓のすぐ下には川が流れる。
家の裏側をちょろちょろ走るその川は、いつも誰かの思い出が流れていた。

誰かの食べた蜜柑の皮、
誰かが捲ったエロ雑誌、
誰かの広げた大風呂敷、
誰かが住んでた段ボール。

父はいつも川を眺め、みんな捨てたいものがあるんだなとカラカラ笑ったものだった。私も毛布にくるまりながら、そんな父の背中を見つめていた。

その日、流れてきたのは誰かの捨てた仔猫だった。
「お父さん、助けてあげて」
私は必死に訴えたが、父は相変わらずカラカラ笑うだけだった。
「この川は天国か地獄に繋がっている。あの猫はきっと天国にいく」
父はそう言い、私の頭を優しく撫でた。
「だがヨシコ。明日はポロロッカがくるぞ」

ポロロッカ?

父は本棚から古い本を取り出し、英語らしき文章を指でなぞって説明した。
「『ポロロッカとは潮の干満によって起こるアマゾン川を逆流する潮流。トゥピ語で《大騒音》を意味する』だそうだ」
この前までオムツしていたお前には難しい話だなと付け加え、毛布の中まで透かすような鋭い目で私の尻のあたりを見た。
「それが来るとどうなるの?」
「いつもと逆に水が流れる」
「逆に流れると、地獄にいくの?」
「そうだ。危険だから川は覗くな」
父はそう言い、私の体を強く撫でた。


次の夜、『酔い処 魚虎』に出かけた父はなかなか帰ってこなかった。
いつも通り書斎で父を待っていると、それは起こった。
遠くから近づく地鳴りのような音。
ガタガタと震え出すガラス窓。
煌々と輝きだす満月。
『危険だから川は覗くな』という言いつけが、かえって興味を湧きたてた。

そっと窓に手をかけて僅かな隙間に目を寄せる。
私は、見た。いつもと逆方向に流れる川を。

ハングル文字のペットボトル、
死んで腐臭を放つ魚、
誰かの捨てた子供の玩具。
どんどん地獄に流される。

「あ!」
激しく流れる濁流の中、かつて玩具売り場で見たことのある人形が流れていく。高くて買ってもらえなかった、でも誰かの捨てた人形が、いま助けなければ地獄に行ってしまう。
「待って!」
私が叫んで手を伸ばすと呼応するかのようにそれは波の上でジャンプした。必死に指を伸ばすと、それの髪が勢いよく絡みつく。私はそのままむんずと掴んで引き寄せた。濡れた人形は重かったけれど、両手でしっかり抱くと目を開き、口からゲボリと泥を吐いた。
私は優しく背中をたたく。
「もうだいじょうぶだよ、かわいいメルちゃん」

体を綺麗に拭いてあげ、私の部屋でメルちゃんと寝ていると誰かの声で目が覚めた。

「……サナ……ア……ッタイ……イ」

布団の中で耳にしたくぐもった声は、毎晩母の唱えるお経の声とは違って聞こえた。
私は布団の中で耳を澄ませた。

「ユ……ツハゼ……ル……イ……アイツモ……サナイ」

あいつも?
悪意を含んだようなその低い声は、頭から布団をかぶっていても毎晩聞こえてくる、父と母と怒鳴り合いとは違う気がする。

階下の誰かの声じゃない。もっと近くに聞こえてる。
起きようか、どうしようか。でも怖い。でも気になる。

私は布団からそっと顔を出し、暗がりの部屋を見渡した。
天井も、入り口も、カラーボックスも、異常なし。今は何も聞こえない。

ホッとしてもうひと眠りしようと寝がえりを打つと隣で眠っていたはずのメルちゃんと、目が合った。

「ユルサナイ アイツモ ゼッタイ ユルサナイ!」

はっきり聞こえたその声は、決して動くはずのない、目の前の小さなくちから漏れていた。

うそだ! うそだうそだうそだ!
私は頭から布団をかぶり、目をぎゅっと瞑って震えながら朝を待った。


ちょろちょろと川の流れる翌朝。
隣で寝ているはずのメルちゃんの顔をそっと覗き込んだ。
その顔は、幸せそうに眠っていた。
私は大きなため息をついて声をかける。
「メルちゃん、おはよう」
そして体を起こしてあげると優しげな瞳がゆっくり開く。
よかった。昨日のあれは夢だったに違いない。

それからずっと、私はメルちゃんを大事に大事に扱った。
トイレ掃除をするときも、ドリフターズを見るときも、計算ドリルを解くときも、川の流れを見るときも。私はいつもメルちゃんと一緒にいた。

「ヨシコちゃん、最近学校よくお休みするね」
「うん、ちょっと」
「今日も一緒に遊べないの?」
「うん。ごめんね」

私は毎日楽しかった。メルちゃんの冒険話は尽きなかった。私はそれをずっと聞いていた。私の話も聞かせてあげた。

ひとつき後。父が『酔い処 魚虎』に出かけた日。
それはまたやってきた。遠くからの地響きと、柵を乗り越えてはじける泥水の音を伴って。
私は少しだけ窓を開けて川を覗いた。

子どもサイズの花柄浮き輪、
仰向けで流れる白いかもめ、
メルちゃんよりも大きなサイズの、
人型ヒトガタのなにかが流れていく。
助けての声は波にのまれて、
私は何も聞こえない。

メルちゃんは満足そうにそれを眺めて、私と一緒にカラカラ笑った。

窓を閉めて自分の部屋に戻ろうとした時だった。
「ヨシコはいるかっ」
唐突に書斎の襖が開いた。父の口や鼻息から匂う油と酒とドブの匂い。
「いい子で待ってたか。風呂にはいるぞ」
私は少し後ずさり、メルちゃんを強く抱きしめた。
いつもと違う私の態度に気付いた父は、いきなり怒鳴って私の頭をはたいた。
「10歳にもなって人形遊びか!」
父はメルちゃんの髪を鷲掴みすると、大きく振りかぶって床に何度も叩きつけた。
「やめてぇ」
私の絶叫で、一階でお経を唱えていた母が気づいて駆け上ってきた。
大きな数珠を片手に父に飛びつき、弾かれても叩かれても私を庇うように父に立ち向かった。

私は首の折れたメルちゃんを抱いて部屋の隅で丸くなって動けなかった。
壊れたメルちゃんは目を閉じない。

父の母を殴る音。母のお経と呻く声。
激しさを増す音と声はいくら耳を塞いでも防げない。
私の胸の鼓動までがうるさく耳に響いてくる。

このままだと、どっちかが死ぬんじゃないか。
そう感じた瞬間だった。

ふいに静寂が訪れた。

ドボンッ、と何かが川へ落ちた。

ゆっくり開けた目に入る、窓辺に佇む母の姿。
私は隣に駆け寄って窓の外の川を見た。

父が川を流れていく。
逆流した濁流にのまれて流れていく。
大きな瞳を見開いたまま、月を見上げるように川上に流されていく。

そのとき腕の中にいたメルちゃんは、いつの間にか瞳を閉じていた。
とても穏やかな寝顔だったことを、私は今でも覚えている。

(了)


椎名ピザさんの企画に参加しています。
カバーというか・・・一生懸命書いていたら、なんか別物になってます?
どこまでどういうのがカバーなんだか・・・難しいですね(;'∀')

最後までお読みいただき、ありがとうございました。 サポートしていただいた分は、創作活動に励んでいらっしゃる他の方に還元します。