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わたがし製くじらの背中

じめじめとした湿気に包まれた空気と飲み帰りの電車、毎日文章を書くという裏テーマが途切れてしまいそうだ。

高校時代の友人と飲んでいて、つい盛り上がってこんな時間になってしまった。
別に誰に強制されている訳でもないんだし、何か書きたいことがなければ書かなければ良いじゃないかとも思うのだが、今現に文章を書いているので、今日もなんとか続きそうである。

文章を書いている電車の車内。
目の前のスーツ姿の年配の男性にも、隣のスマホで野球ニュースを観ている男性にも、端にいるアロハシャツオールバックお兄さんにも、今日一日があったのだ。

そう考えたら、書くことがなくなることなんてないのかもしれない。
誰かの下には常に何かが起こっている。
そういう短いストーリーが連なって、文の集合態になっていく。そしてそれが文章になる。

文章を書くということをもっと広く、そして軽く捉えてみようと思う。角がなくて柔らかいのもいい。

広くて軽くて柔らかいってどんな文章だろうか。

わたがしで出来た鯨の背中か。
アロハシャツのお兄さんには、祭りで子どもを喜ばせる形にわたがしを作ることができる、という設定で役を引き受けてもらいたい。

最寄駅に着いてしまったのでそれはまた今度考えよう。

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