大いなる誤解が解けた日

昨日は父の墓参りに、母と弟と行ってきた。
私は職業柄、たくさんの人の死に立ち会ってきたけど、父の死には立ち会っていない。

私は父が苦手だった。ずーっと仕事ばかりやっていて、何か言われる時は注意されるか怒られるかで、近寄りがたく関わり合いたくなく、亡くなる前10年くらいは会っていない。
父は昨年年明けに急逝した。その時はコロナの流行していて、見慣れない人がいると近所に噂が立つからと県外の親戚一同、帰省はできなかった。でもコロナでなくても、私は帰省できなかったかもしれない。いまさら父にどういう顔して会ったらいいかわからなかったから。亡くなってからようやく近寄れた感じ。

昨日は出発前に雨が降ったらしい。そして墓参り中にも雨。叔母がお供えしてくれてた花もあちこちに飛んでいて、父に「泣き過ぎだってー!」なんて言いながら掃除をしてお参りして。

実家に帰ってきて、そう言えばさ…と思い出話になる。母から、昔の我が家が極貧だった理由とか、父と母の挑戦の話を教えてもらった。それから、父が私の生まれるのをとても楽しみにしていて、陣痛の時に母をちゃんと病院に連れて行ってくれたことも(弟達は仮死状態だろうが、出血しようが、受診の付き添いをかなり面倒くさがられたらしい…)。
私も愛情をかけてもらっていたんだって50年経ってようやくわかって、感謝だし、もうそれだけで父の事ゆるしていいやと思った。

母は、弟嫁と孫の関係性の愚痴を相変わらず。
「怒って外に出したりして、あれじゃあ嫌われるよ。」とグチグチ…
いやいや。私、あなたに雪の日の夜、外に追い出されて鍵閉められて、なんで怒られたのかもわからなくて、途方に暮れましたよ。
って伝えたら、まさかの母、覚えておらず💦
私、ずっと家の厄介者だと思って引け目に感じて生きてきたのに、だから家を出たのに、やった側忘れてるんかーい‼️
ショック過ぎて涙目になってたからかな、弟が「母ちゃんもおんなじ事やってんじゃん!」と突っ込んでくれた。
母も反論せず聴ける人になっていた。私も、あれだけ極貧で子ども3人抱えて追い詰められたら仕方ないかって思えるだけの人生経験は積んできていた。私が生きているってことは、多少の衝突はあったにしても、産んでもらって、生きられるように世話してもらってきたってことだもんね。

時が満ちたから、こうした形で誤解が解けて真実を知れたのかも。ようやく家族がつながれた。

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