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粒子と波動の二重性の解釈-次元を折りたたまずに次元数を落とす手法

 我々の世界は見た感じ三次元ですが、充分長い電線の周囲には二次元的な電場、電線からの距離に反比例した強さの電場が存在します。(もちろん電線に電流が流れている場合です)。つまり、直線的に分布するものが生み出すものは一つ次元が落ちて見えます。

 さて、ここからは仮説です。
 我々の三次元空間をセル画に描いてみましょう。そう、昔のアニメーションで使われていたセルロイドに我々の三次元空間を描くのです。
 そして、そのセルロイドを無数にコピーして、無数に積み上げましょう。それはきっと四次元空間です。
 三次元的な現象を生み出す物体はそのように「充分な長さ平行に」四次元空間内に存在します。逆に言えば「充分な長さ平行に」存在するもの同士は一つ次元が落ちたような動作を見せます。これが私が提唱する「次元を折りたたまずに次元数を落とす手法」です。
 そして、量子はこの四次元空間内に波動として存在しています。しかし、四次元空間を構成するセルロイドを一枚引き抜くと、量子は粒子なのです。その位置は波動から導かれる確率に従ってランダムな場所にいます。
 これが私が提唱するシンプルな「粒子と波動の二重性の解釈」です。
 セルロイドの厚みがどのくらいなのか、ちょっと私には分かりません。理想的には厚みゼロなのかもしれないし、プランク長さもしくはそれ以外の厚みがあるのかもしれません。むしろ科学の力でその厚みを求めていくことができれば楽しいのではないかと思います。

 この理屈に基づいて「シュレディンガーの猫」について考えてみると、猫の蓋を開けるまでは四次元空間においては猫は生と死の重ね合わせの状態ですが、一枚のセルロイドにおいては生死は既に決まっています。しかし、猫の蓋を開けると四次元空間においてもシュレディンガーの猫の生死は確定します。よく分かりませんが、猫が生きている世界線と、猫が死んでいる世界線のどちらかに分岐するのかもしれません。あまり長い間四次元空間でも重ね合わさったままだと、三次元的にふるまうはずのものに重ね合わせが積み重なりすぎて波動のようになってしまいますからいけません。
 このときもしかしたら、一枚のセルロイド、つまり三次元空間が、猫の蓋が開いた途端に四次元空間へと拡張されているのかもしれません。もしかしたら、その拡張が起きるのは猫の蓋が開いたときではなく、三次元空間内にてシュレディンガーの猫が死んだときかもしれません、でもそれよりは、シュレディンガーの猫が生きているときも死んでいるときもありとあらゆる瞬間に常にそれが起きていると考えるほうがスマートかもしれません。でもこの拡張は質量保存の法則に明らかに反しています。やはり世界線の分岐で説明するほうが筋がいいように思います。

 速度が変われば時間の流れも違うことは物理学で証明されていたと思いますが、それは突きつめれば、一つ一つの基本粒子が違う世界からこの世界に集ってきてまた別の世界に分かれていく、ありとあらゆる瞬間にそれが起きているけど、違う世界もこの世界もあらかた似ているのでそれを感じない、そういうことだと思います。三次元空間だけでなく四次元空間も常に世界線が分岐していく、私が述べた仮説は、これとリンクしているような気もします。

 このような議論が物理学の世界で既に成されていたらお目汚しごめんなさい。軽くググっても私のような解釈は見つからなかったのです。簡単に考えられて簡単に否定できる解釈なのかもしれません。ただ、むかし読んだ超弦理論の本で「重力が三次元的空間なのだから世界が四次元空間的であるわけがない」みたいなことが書いてあって、流石に乱暴だなぁと思って反駁したくなったのです。
 おつきあいいただきありがとうございました。

(pixivにも同様の投稿をしています)

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