【映画レビュー】人気作待望の続編がまさかの大荒れ?映画『トイ・ストーリー4』を観た感想を語ります【賛否両論】
皆さんこんにちは、リモコンRです。
今度、ディズニーピクサーの新作映画『インサイドヘッド2』の公開を記念し、金曜ロードショーで映画『トイ・ストーリー』シリーズを2作品放送するという話を聞きました。個人的にピクサー作品がかなり好きなので楽しみな気持ちもありつつ、そういえば、と思い出したことが1つ。
『トイ・ストーリー』は大ヒットしたことにより次々と続編が作られ、今現在までに4作品つくられています。ただこの4作品目にあたる『トイ・ストーリー4』が公開当初かなり物議を醸しだしていました。そしてそのことを小耳にはさみつつ、機会を逃したためいまだに未視聴であったことです。
なぜ賛否両論を呼んだのか、せっかくのいい機会なので観てみることにしました。その中で少し思うところがあったので、今回はそれを文章に起こしてみようと思います。
内容に触れながら話を進めていこうと思うので、ネタバレ注意です。
未視聴の方はお気を付けください。
『トイ・ストーリー』という作品
このトイ・ストーリーという作品は、実はおもちゃたちは生きていて動きまわっているのだ!というお話です。アンディという少年のおもちゃたちが様々な騒動を巻き起こしたり、ときに巻き込まれたりしながらもみんなで力を合わせて乗り越えるというストーリーが人気を博しました。
1作目では主人公ウッディらアンディのおもちゃたちのもとにバズライトイヤーがやってきます。自らを宇宙の戦士と信じてやまないバズという存在に戸惑うウッディですが、徐々に互いを理解していくことでおもちゃとしての生き方を固め、2人で協力しアンディのもとへ帰ろうとするという内容です。アンディの隣に住むおもちゃの改造が趣味という少年シドのインパクトも強かったですね。
2作目では、自身の希少性を知ったウッディがアンディのもとでおもちゃとして居続けるか、コレクターのもとで作品となるかを思い悩みます。前作とは打って変わってウッディ自身の心に揺らぐものがあるなか、今度はバズや仲間たちが助けに向かうという展開になります。最終的にはコレクション仲間であったおもちゃの悪意を感じ、仲間たちとともにアンディのもとへ帰ります。
そして3作目ですが、すっかり大きくなったアンディからおもちゃたちが巣立ち、新たな居場所を求めて幼稚園へ向かうという内容です。おもちゃたちにとっては子供たちに遊ばれることが何よりの喜びであるため、始めは期待に胸を膨らませる一行でしたが、幼い子供たちの乱暴な遊びや保育園のおもちゃによる恐怖政治を味わい脱出を図ることになります。そして物語ラストではアンディの手からボニーという子供の手に譲渡され、アンディからの巣立ちと新たな生活のスタートを迎えエンディングを迎えます。
おもちゃたちにとっては遊んでもらうということが最大のアイデンティティであり存在理由になっています。そんなおもちゃたちが持ち主であるアンディの成長に伴い遊んでもらう機会が減っていくことで思い悩んでいくという様子が3作に渡って描かれています。そのように続えてきたテーマを3作目でほかにおもちゃを必要としている子供のもとへ移るという着地点に綺麗にまとめていたことですっきりしたエンディングを迎えました。人気作はとにかく続編を作りだらだらと引き延ばしがちなディズニーやピクサーですが、本シリーズはシリーズものとして一貫したテーマから逸れることなく、ある種理想的な終わり方だなと思いました。
そんななか製作が発表されたのが4作目『トイ・ストーリー4』です。あのラストからどんな続編を作り上げるのか。果たして作れるのか?
『トイ・ストーリー4』のあらすじ
新しい持ち主ボニーのもとで楽しく暮らしていたウッディたちは、幼稚園でボニーがフォークなどで工作したフォーキーと出会います。新しい仲間であるフォーキーを歓迎する一行ですが、フォーキー自身は自らをおもちゃではなくゴミとして認識しており、遊ばれることを否定し逃げ出してしまいます。そんなフォーキーを追ってウッディは外の世界を旅することになります。
今作のキャッチコピーは「あなたはまだ-本当の「トイ・ストーリー」を知らない。」とのことで、なにか新しい物語が始まるのかと期待させるようなものになっています。また、監督には映画『インサイド・ヘッド』で脚本を務めたジョシュ・クーリー、脚本にはトイ・ストーリーシリーズやファインディングニモなどを手掛けてきたアンドリュー・スタントンなどが入っており、社が本腰を入れて製作している様子がうかがえます。
それではここから作品を観た感想に入ります。
感想戦
まず本作を総括した感想なんですが、面白い作品だとは感じつつもモヤモヤも残るといった感じでした。賛否が巻き起こるのもよくわかります。
いかにその理由を述べていきます。
一貫したテーマ
本作のテーマは「生き方の多様性」についてでした。ただこれは昨今ディズニーの作品に侵食しているような説教臭いものではなく、「世界には色々な生き方がありそれは自分で選ぶことができる」ということを伝えたい映画なのだろうと感じました。
本作では「持ち主のもとで遊ばれることこそがおもちゃの使命だ」というウッディの価値観の変遷が描かれています。「おもちゃには持ち主がいて当然だ」「遊ばれることこそが何よりの幸せであり自分たちの存在理由だ」こういった価値観は、アンディへの愛着が特に強かったウッディにとって絶対的なものであったことでしょう。そんなウッディが次第に遊ばれなくなり悶々としていたタイミングで様々な境遇のキャラクターたちと出会い行動していく中で自らについて考え直していく。今まで3作品にわたって積み重ねてきたものを4作目にして取っ払うという展開になります。「遊ばれたいと思わないおもちゃだっているかもしれない」そんな新しい視点から繰り広げられるストーリーが斬新で興味をひかれたという点は高評価でした。
結果として、ラストでウッディは新しい生き方を選ぶのですが、この決断をするまでの葛藤が映画1本という時間をかけてしっかりと描かれていたのも良かったと思います。1つの新しい生き方を見せられてあたかもそれが正解であると観客に促すタイプの作品は、映画が作り手の思想が反映されている芸術作品であるという考え方もある通り否定はしません。ただそれが説教臭く感じてしまう理由にもつながってしまいます。そこをこの映画ではいくつかの選択肢を見せることによりウッディ自身に選ばせる展開にしていることで、生き方の正解は一つではないという多様性のあるべき姿を見せているように思います。そういった点からも映画を通じてテーマが一貫しており、かつ嫌みのないまっすぐなストーリーへと仕上がったのではないかと思います。
作品を盛り立てる2人の新キャラクター
今作においてウッディに大きな影響を与える新キャラクターが2人登場するのですが、いずれも役割がしっかりとありつつ観客の記憶に残るという点で製作陣のキャラクターデザインがいかに優れていたのかを感じました。
1人目のフォーキーはボニーの手作りおもちゃです。改造おもちゃこそいましたがオリジナルのおもちゃは初登場なのですが、だからこそ彼にはおもちゃ特有の価値観が通じません。しかも初期のバズとも違い、おもちゃとして作られたこと自体は認識していながらおもちゃであることを否定するという特異な存在です。まるでウッディと正反対の価値観で動く彼がもう一人の主人公として登場し、2人で行動を共にしていく中でそれぞれ互いの価値観を理解し染まっていくという過程が見どころの一つです。物語のラストでフォーキーはこれまでのウッディのように持ち主のもとでおもちゃとして生きることを選択します。このフォーキーの心境の変化も、冒険の中で様々な経験をして見てきたという過程がしっかり描かれているので、観客側に押し付けること無く納得がいく展開に仕上がっていると思いました。
そして2人目はボーです。1作目ではウッディの恋人として登場しながら途中から出番のなくなったキャラクターが、4作目で再登場するという熱い展開でした。しかもこの年月を経て、ボーは持ち主のいない野良のおもちゃとして過ごしていたといい、ワイルドに逞しくなった姿でウッディの前に姿を現します。おしとやかだった面影はなく、着飾ったドレスからパンツタイプに衣装も一新され、観客にも大きなインパクトを与えたであろう彼女の存在は、作中でもウッディの考えに大きな影響を及ぼしました。
ほかにも様々な生き方をするおもちゃと出会ったウッディは従来のおもちゃとしての生き方を辞める決断をします。ただこれは「自由を求めた」というより「やりたいことを見つけた」という変化に近いのかなと思いました。またボーらとともに生きることを選んだウッディは、これまで一緒にいたバズたちとの別れを選びます。選んだ生き方がまるで異なる2人ですが、最後は惜しみながらも晴れ晴れと別れていくシーンがこの映画の終着点でしょう。最後まで一つの芯を貫いたストーリーが私はかなり好きでした。
シリーズものとしての在り方
これまで肯定的な意見を述べてきましたが、先のとおりモヤモヤを感じた部分もありました。それが、「シリーズものとしてこれでいいのか?」というところです。おそらく歴代ファンが感じた嫌悪感がこれにあたるのでしょう。というのも、1作目から紡いできた話が3作目ラストでアンディのもとから離れるというエンディングがあまりにも綺麗にまとまっていたためです。仲間意識の強かったウッディたちが離れ離れにならずいつまでも仲良く暮らすという姿がみんな見たかったんです。そこを人気にあやかり続編を作ろうとした結果、主人公が心境に変化を起こし今までの仲間たちと別れるエンディングとくれば反感を買うのは変な話ではないと思います。今まで紡いできたものをなかったことにしてしまったのですから。
ただ、私個人としては、だからこそ価値のある作品になったのではないかとも思います。『トイ・ストーリー』は世界的に有名な作品で、そのキャラクター像もかなり浸透しているでしょう。この作品に対する共通認識はシリーズが今まで紡いで積み重ねてきたもので、それはかなり強固なものです。変えることは簡単ではありません。そしてこのことは現実世界の価値観ともリンクするのではないかと思いました。生まれたころから沁みついている文化や価値観はなかなか変えられないし、変化を受け入れるのも大変なことです。そのことをシリーズ作品を用いて表現しているというようにとらえることもできるのではないでしょうか。あえてという製作陣の狙いがはじめから明確にあったということでしょう。
よってこの『トイ・ストーリー4』という作品は、今までの累積があるシリーズものという特性をよく活かした表現作品として実に優れているように思いました。ですがファンの方からすればやはり今まで好きだった作品が蔑ろにされているように感じるし、全くもって蛇足で受け入れにくいものにも感じるでしょう。そういった感覚も十分理解できます。だからわたしはモヤモヤを感じてしまいました。はたして『トイ・ストーリー』でそれをやる必要があったのか。本シリーズは1~3までも非常によくできていたためもったいない印象も拭いきれませんでした。
まとめ
いかがでしたでしょうか。否定的な意見が多くみられたこの映画ですが、頭ごなしに拒まれるほどの映画ではなく、非常によくできた映画であったと思います。今回書いたのはあくまで個人的な解釈なので正解ではないですし、実際のところはわかりません。ただこういった見方もあると思えば結構楽しめる作品ではあると思います。
ただ、聞いたところによれば5作目の製作が予定されているとか…。終わり方的にももう作品をたたむべきだと私は思うのですが、いったいどういった作品になるのか、映画好きは期待するしかありませんね。
皆さんはどのように感じましたか?ぜひご感想お待ちしております。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?