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【短編小説】ブルーベールに集う(7)

 船が目の前で止まると、ぼろ切れの衣装に剥き出しの骨のような手でパドルを握る顔のない船乗りが座っている。

思わずぞっとし、躊躇いを感じていると先ほどの小鳥が羽ばたいている。再び肩にのり、誇らしげに小さな胸を突き出した。

「そうか、お前が呼んでくれたのか。なら、乗らないとな。」

そう言って、舟に乗り込んだ。

 顔のない舟乗りはひたすらパドルをこぎ続け、すぐに島までたどり着いた。海岸に近づくと、一人の少女が砂山を築き上げている。ブロンドの髪にミントグリーンのスカートが風に揺れ、想たちに気がつき、目が合う。美しい少女は顔色を変え、背を向けて走り去っていった。

 舟から降り、船乗りが来た道を戻っていく様子をしばらく眺めた。カチャ、と背後から機械音のような物音がかすめ、おそるおそる振り向くと、十人ほどの群衆がおり、先頭にいる水色の瞳をした強面の中年男性が銃を向けている。

「絶対絶命ってやつじゃん・・・。」

 想はゆっくりと両手を広げた。中年男は何やら言葉を発しているが、理解不能である。だんだんと苛立ちはじめる男は想の胸元に銃を押し当てる。鼓動が早まり、恐怖に体温が引いていく。
 まずい、と思った瞬間、白い小鳥が体を揺らし、金色の羽根を群衆に注いだ。咄嗟に彼らは銃を下ろし、砂浜に膝をつき、這いつくばう。異様な光景に混乱しながら、つぶらな黒い瞳で見つめる小鳥に促されるように、島の中へと走り出した。

「おじさん。」

 足を止め、声の方を見ると岩影から少女が顔を出している。岸で見た洋風の少女とは違い、肩まである黒髪に顔は影に覆われ、はっきりとわからないが、赤い唇を半開きにして見つめている。少女は白いワンピースを翻しながら岩陰から出て、想の手を取り、走り出す。

「おい!どこ行くんだ!」
「住人たちに見つかったら危険よ。わたしの家に行きましょう。」
「た、助けてくれるのか?」

 いくらか走り、草木を抜けると同じかたちをした煉瓦造りの家々が立ち並ぶ村が見えてきた。どの家の煙突からも煙が上がり、香ばしい匂いが漂い、失っていたはずの空腹が蘇ってくる。

 少女に手を引かれたまま、裏手の森から回り、井戸で水を汲む女性がいなくなった隙に一軒の家へと走った。中に入ると右手に半開きになった扉の隙間から寝室が見え、正面の出窓から陽光が差し込み、木製の大きなテーブルと椅子がある。左手の奥は台所になっていて、少女は暖炉の前に立った。

「そこに座って、おじさん。」
「ありがとうな。ちなみにそのおじさんは辞めてくれないかな?まぁ、君からしたらおじさんだけど・・・。」
「お腹空いているでしょう。いまシチューを温めるね。」
「それにしてもどうして助けてくれたんだ?俺を助けたら君が危険だ。」
「おじさんが悪い人に見えなかったからよ。あなたは本当は繊細で優しい人。それにシマエも庇っていたし。」
「その通り。ただの女好きで野蛮な男だって思われる度に心外だったから。君はいい子だ。」
「そう思われても仕方ないわね。おじさん、とてもかっこいいもの。」
「それはどうも。シマエってあの小鳥のこと?」
「ええ、金色の羽根を持つシマエは神聖な国鳥よ。傷つけたりしたら死刑よ。」
「それで銃を下ろしたのか。シマエ、大丈夫かな?」
「きっと大丈夫よ。またあなたのもとに戻って来るわ。シマエが懐くなんてすごいことよ。」
「この島に辿り着く前、海に流されてきたところを助けてあげたんだ。それ以上に助けてもらってるけどな。」

 出窓からこつこつと音がし、視線を向けるとシマエが羽ばたきながら小さな嘴を当てている。少女が窓を開けると、ものすごい速さで想を目がけて肩に止まる。

「ありがとうな、シマエ。」
「シマエにも餌を用意するね。」

 少女は小さな麻袋から皿に木の実を移し、別の皿に水を入れてテーブルに置いた。シマエは勢いよく木の実をつつき、水を飲んだ。少女は手際良くパンを切り、たっぷりとバターを塗りながら話を続ける。

「おじさん、エトランゼなのかしら?」
「ああ、実を言うとな。絶対秘密な。・・・ってもうバレてるか。」
「やっぱりね。わかった、秘密にしてあげる。わたしの秘密も聞きたい?」
「そうだな。二人だけの秘密にしよう。」
「わたしも多分エトランゼ。なんだか海を見つめていたり、夕日に彩られる空を見ているときふいに、たまらなく胸がぎゅって締め付けられるの。悲しいぐらいに懐かしい一瞬の情景を違う世界で見たことがあるように思えるのよ。」
「そうか。」
「それにわたしを育ててくれた、今は部隊で働いているおじいさんがね、わたしを森の中で拾ったって教えてくれたの。だから、きっとエトランゼ。」
「周りにそれが知られたらまずくない?」
「きっと大丈夫。この街の人とうまくやっているもの。あ、やだ!煮すぎてしまったわ!」

少女は慌てて暖炉から鍋を離した。

「大丈夫かよ?焦げたシチューはお断りだぜ?」
「大丈夫よ。焦げてないわ。温かくて美味しいよ。はい、どうぞ。」

 少女はバターが塗られたパンと大きな野菜がごろごろと入った熱いシチューを置いた。


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