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【短編小説】ブルーベールに集う(5)

 灼熱の白い太陽が目の前にあるにもかかわらず、暑さを感じることはなかった。

青年は概念を持たぬ老人に自分の話を聞かせた。

 パッケージやロゴデザイン制作を担い、キャリアを積んだ後に、現在はプロジェクトを完遂するため指示、管理を行っていること、いつかセトウチに戻り、友人と独立して会社を持つ夢があること、心から愛した女性と思い描く将来にずれが生じ、結果的にその女は違う男を選び、初めて打ちひしがれた過去のこと。

 老人は聞きなれない言葉を繰り返しなぞりながらも、じっくりと青年の話に耳を傾けた。
 
 小さな無人島に立つ白亜の灯台が見えてきた。その島を前に船が止まった。

「マルサン、わしが連れてこれるのはここまでじゃ。」
「え、じいさん、ここで降ろされても・・・。」
「心配無用。この先は歩いていくことができる。こちらと反対側の海に足を踏み入れてみるのじゃ。」

 おそるおそる一歩足を出すと、呼吸するように波紋が広がり、海面に足をつけることができた。すげぇと声を出しながら一歩、二歩進み、再び老人の元に戻る。

「ではな、マルサン。君と出会えてよかった。楽しい話をどうもありがとう。」
「こちらこそ。ありがとうな、じいさん。あ、ちょっと待って。俺さ、人を探してたんだ。名前が、えーと・・・。」

 額に手を当てながら目を閉じ、必死に思い出そうとした。風が強く吹き、ボートから想を見つめる老人の体が揺れる。
もぉ、また飲みすぎて突っ伏してる~本当だらしないなぁ。おーい、聞こえてるぞー。あはは、ごめんごめん、女性と年のいった男性の声が、耳元をかすめ、やがて消えていった。

「あ、アヤだ!亜耶を探しているんだ。どうしたら会えるんだろ?」

「アヤ?すまない、マルサン。わしはアヤを知らないのだよ。ただ、先ほど歩いた海をずっと行くと人々が暮らす大きな島がある。そこに行けば何かわかるかもしれないな。」

「そうか、わかった。行ってみるよ。」

 では、と言って老人はパドルを漕ぎ、しばらく想を見つめたまま来た道を戻っていった。想もまた見えなくなるまで手を振り続けた。
 
*******
 コバルトブルーが一帯に広がり続けるこの景色は、憧憬か、どこかへと遠ざかっていたノスタルジーなのか、孤独か―。

 青空には雲があっけらかんと浮かびながら、白い陽光が差し込む。歩み続けていても足に疲労を感じることはなく、空腹も微睡も女の体を欲することも想の中から綺麗に消え去ったようだった。

 西日は壮大な光を海へと注ぎ込み、グラスからひっくり返したようなオレンジ色の粒が煌めいた。吸い込まれそうな焼きつく夕陽が想の肌を照らした。
 
 やがて藍色の空にぽっかりと白い月が現われ、満ちた輝きが光の環を描いて漆黒に浮かび上がった。その月と散りばめられた星々の淡い光を頼りに進み続けると、目の前の黒い海に光の道ができている。

 東側を見ると灯台から光が漏れている。正面の遠く離れた先で、点々とした小さな灯りが連なるのが見え、安堵に息をついた。一歩踏み出すと、透明なガラスが抜け落ちたように足元が外れ、海に入り込む。咄嗟に後退り、ふらつきながら尻もちをついた。

「どうなってるんだ、この先は行けないってことかよ・・・。」
 
 踏み外したところに触れると、やはり海水で濡れる。落胆にため息をつき、座り込んで夜空を仰ぎ見た。

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