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【短編小説】ブルーベールに集う(3)

 居酒屋から出て、高架下を通り、スターロードへと歩いていく。互いに何も話さずとも、同じ場所を目指しているはずだった。冷えてきた体に夜の賑わいが熱を帯び、微かな酔いを心地良くさせる。

「仕事は順調?」
「相変わらず派遣社員だよ。独り身で非正規だから、この先不安だよ。まるさんはどう?」
「楽しいよ、仕事。ディレクターになって、みんなをまとめるのたいへんだけどな。」
「すごいね。今のデザイン会社入ってもう長いよね。」
「そうだな。俺も今は女いないけど、充実してるからよし。」
「なんか、意外だなぁ。」
「意外ってなんだよ。」

 さっむ、と言いながらまるさんはポケットに手を突っ込んで、肩を震わせた。

「もお、どうしてコート着なかったの。」
「いやぁ、葬儀に着てけるようなのがなくて。」
「ちょっと待ってて。」
 
 亜耶はそう言って、コンビニへと入っていった。ぼんやりと見つめる先の、赤やオレンジ色の連なる灯りが炭火の香ばしい煙に覆われていく。はい、と背後から声がして振り向くと亜耶がカイロを差し出した。
「これで少しはマシでしょ。」
「さっすが、亜耶ちゃん優しい♪サンキューな。」
想はそれを受け取って、笑った。

 ガラス越しに見える閉ざされた店をしばらく見つめた。
「真っ暗だね。当たり前だけど。」
「俺、実はこの間も来たんだ。そしたら常連だったマスターの親友の河西さんがいた。親族と話をつけて片づけの段取りが決まるまで、鍵を管理してくれてる。本当はさ、河西さんここを引き継ぎたかったんだけど、高齢で難しくて諦めることにしたんだ。」
「そうだったんだね。」
「無くしたくないよな。」

 そう言いながら、想がなんとなく扉を押すと鈴の音が鳴なり、前に動いた。
「え、開いた・・・。」
「河西さん閉め忘れたのか?」
 
 携帯のライトを頼りに照明のスイッチを点ける。マスターの帰りを待ちわびる棚に並べられた瓶が暗闇の中で照らされる。亜耶は時がとまった店内をじっくりと眺め、いつも座っていた椅子に腰を下ろした。

 暖房を入れ、カウンターの中から出ようとしたとき、奥の古びたドアと目が合い、想は足早に戻った。不思議そうに尋ねる亜耶の声に振り返ることなく、ドアノブを掴み、思い切り押した。

****** 
「今日は亜耶は来なかったな。最近、忙しそうだしな。」
タバコを吹かしながら、グラスを磨くマスターに呟いた。
「まるくんは本当に亜耶ちゃんが好きだねぇ。」
「ああ、好きだよ。歯に衣着せぬ物言いで面白い子だよ、あいつは。マスターと同じぐらい好きさ。」
 
 そうかい、とマスターは照れ笑いした。夜の深まる店内にはマスターと想しかいない。いつの間にかBGMが止まり、マスターが入念にグラスを磨く音だけがする。そういえばさ、とグラスの氷を指でからからと揺らしながら尋ねた。

「どうしてブルーベールって名前なの?」

マスターは手を止め、少しの間想を見つめた。

「実はお酒の名前なんですよ。」
「へえ、そうだったんだ。」
「それも幻のテキーラでね。昔、カリブ海の小さな島で出会って、手に入れたんだ。」

 そう言ってカウンターの奥の部屋へと入り、瓶を持って出てきた。水色の原液が揺れる透明な瓶を想の前に置いた。そっと両手で抱え、金色で縁どられた「blue veil」の文字を見つめる。

「綺麗な色だな。まだ開けてないみたいだけど、いいの?」
「いや、まるくん、これはお店では出してないんだ。個人的に大切なものでもあるし、この酒は特殊なんだよ。なんていうか、危険なんだ。」
「他のスピリッツに比べれば度数は低いだろ?」
「度数が問題じゃない。うまく口じゃ説明できないけど、これを飲むのには相当の覚悟が必要なんだ。だから簡単に提供もできない。ま、いつか飲ませてあげるからさ。」
「すげぇ気になるけど・・・わかったよ。マスターの大切なものだしな。じゃあ、最後にいつものテキーラちょうだい。それ飲んだら帰るから。」
 
 そう言うと、マスターはキャラメル色をしたレポサドテキーラを想のために注いだ。
 
 ドアノブを掴んで開けると、そこはパントリーになっていて未開封のボトルや業務用のナッツやスナックが置かれていた。一つ一つラベルを見たが、見当たらない。次に古びた冷蔵庫を開け、ソフトドリンクのパックが並べられた奥に二つの瓶が並び、手前のものを手に取る。あった、と思わず声を漏らし、よく見ると開封されたライトブールの原液が僅かに減っている。

「まるさん、何してたの?それ、なんのお酒?」
「ブルーベールだ。これはマスターの大切にしていた酒なんだ。」
「ブルーベールって、お店と同じ名前・・・。」
 
 亜耶の隣に座り、二つのショットグラスを並べ、おそるおそる注いでゆく。水色で満ちたグラスを前に手が止まり、亜耶の瞳を真っ直ぐに見てから尋ねた。

「昔、マスターから聞いたんだ。うまく説明できないって言ってたけど、これは幻の酒で危険なんだって。だから覚悟がいる・・・。亜耶、それでも飲むか?」

 亜耶は真剣に訴える眼差しをしばらく見つめてから、口元を緩めて笑った。

「どれだけまるさんに鍛えられたと思ってるの?それぐらい余裕だよ。」
「いや、度数もそうだけどさ・・・。」
「大丈夫、一緒に飲もう。」
「そっか、わかった。じゃあ、はい。」

 そう言って想は亜耶に渡し、音を立ててグラスを重ねてから互いに口に入れた。微かにオレンジのような香りと甘さが舌を掠め、よく冷えた原液は喉に刺さりながら流れ落ちていく。次第に熱を帯びた体はどこかに落下していくような感覚になり、二人の意識は途切れていった。

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