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顎関節症という歯科医療被害 何故奴らは馬鹿なのか2-2 関節結節「外側」の切除について(2)

(30P)
 
 進化の過程でヒトの身体は何年まで生きられる設計なのか。生きている限り健康な状態を維持できるものなのか、それは分からない。だが、はたして活発に生きている間に歯が無くなることまで想定されてヒトは進化したのだろうか。歯が無くなればヒトには次のような困りごとが現れる。

・消化しやすく噛み砕きすり潰して食べるこ   
 とが出来ないので取り入れることの出来る   
 栄養源が限られる。
・歯が無ければ言葉を発音出来ず、会話に支
 障が出る。
・顎骨が痩せ、口周りの筋肉も衰えて表情が 
 乏しくなる。
・食物や唾液を飲み込む際、咽を持ち上げる
 為に必要な舌の支えが無くなり嚥下に支障 
 が出る。
・食べる事の刺激が無くなれば脳は反応が悪
 くなり、楽しみも目的も無くなれば活力も 
 失せてしまう。
・骨が抜けた様な状態となり頭を支えられず
 姿勢が前に歪む。

 また、顎関節症と称される様々な病態に直結する要因として、

・閉口動作時にストッパーとなる歯が無けれ
 ば下顎が深く閉じてしまうため、慢性的に 
 靭帯が機能せず関節円板が元の位置から外
 れてしまい、骨と骨が直に擦れ合うことで
 顎運動の際に顎関節の摩擦が大きくなる。

 本来であればヒトという動物は歯を失うとこれだけ大きな障害を抱えながら自然界を生きることになる。自力で生き残ることはとても過酷に違いない。
 私はヒトだけを特別な動物だとは思わないが、顎関節症に煩わされる現代人の生きる環境がとても自然な環境とかけ離れていることは疑いようがない。顎関節症及び不正歯列の数々はヒトという動物の身体に起きる進化・退化の問題ではなく、顎と歯の健康を害してしまうその原因が必ず現代社会に潜んでいるのである。

 動物の身体のつくりとして歯はとても原始的な器官である。それは歯を使って食べるという行為が生き物の行動原理だからだ。ヒトを取り巻く環境の変化が著しいとしても、生活が近代化したごく短期間のうちにこれまでの進化で受け継いできたヒトという動物としての歯の形態が根本的に変わるなど、親と子、孫の二世代や三世代で起こる事だろうか。もし、そのようなことが起こり得るのであれば考古学において参考とされる歯は何の科学的根拠にもならないのではないか。歯の形態はほんの十年や百年などで簡単に変わるはずがない、という前提があってこそ故人の歯の擦り減り具合からかつて生きていた歯の持ち主が何歳ぐらいの人間であったか等と、考えるのではないか。科学者はそのように他人にも通じる普遍性をもって研究に励み、お互いに純粋な探求心の参考とするものだろう。
 ところが、エリート日本人歯科医師達の日本語で書かれたこの学術書は引用文で溢れ、何処の誰だかその参考文献には日本人の名前まで英字表記され、まるで彼らは外人かぶれである。欧米の誰それが言っていたのだからそうなのだと、自分が参考とするその概念の説明も碌にせず「文献○番参照」などと手前勝手に話を展開し、それを読む別の医師達も見くびられまいと知ったかぶりをしており、真実を知っている人間から見れば何とも間抜けなあり様である。
 歯科医師免許持ちの連中からはもれなく実力を磨かずに建前を取り繕って自分を他人より良く見せて優位に立とうとするオスの習性が見て取れる。知ったかぶりの上司達に囲まれた狭い世界で成り上がるのは同じように知ったかぶりをして馬鹿なお殿様をおだてることの出来るお調子者の部下である。真実を探求して実力をつけた本当に有能な人間ならば、不正と欺瞞に満ちた歯科医学の馬鹿らしさに気が付いてやがて嫌気がさし、出来の悪い上司達から離れていく事だろう。

 私が批判するこの歯学書では術中写真や図の英字略号表記は統一されておらず、「上関節腔」、「下関節腔」ではそれぞれ3通りの表記がある。「関節円板後部組織」を示す英字略号表記は2つあり、その日本語表記は3通りに分かれている。日本人の彼らは学術書の名の下で自分勝手に点でバラバラな事をしているようである。誰のものでもない星空に点を見つけて自分の胸の内でそれに名前を付けるのは自由だが、公共の学術の場においてそれはあるまじき行為である。
 文中で「前下顎頭稜(ACR)」などと、また新しく名前を作り出して提唱する前に、著者達にはその骨の部位はどのような役割を担い、形作られているものなのか成り立ちを解説して頂きたいものである。この先もエリート日本人医師達の功名心という我欲が、無駄な専門用語や新しい病名を増やし続けてくれる事だろう。
 オスの本能に従順な医師達は自分の城を築きたがり「○○会」と名乗りを上げては乱立が続き歯科医院の廃業が後を絶たない。「〇〇医師」と名が付く特権階級であるはずの自分達で分け合う年貢も領土もついに無くなり、歯科医師匿名参加のSNSを覗いてみれば「歯科医師は過剰か…」などと、テーマを上げて身勝手な不安を吐露している。甘い汁を吸えた古株達のように太く肥えられない発育不全の若い歯科医師達は、現実を前にしてエリートの存在意義に疑心暗鬼のようである。
 動物のオス同士が派手な容姿を競い、自分の身体を大きく見せるのには正当な理由がある。ケンカなんかして争えばエネルギーを消耗してしまうし、勢い余ってお互いに怪我を負えば最悪の場合では同一種で殺し合うことにも繋がりなり兼ねない。遺伝的に優位な一匹だけが残るためではなく、種を存続するという上で暴力が合理的ではない場合の動物の習性である。動物たちの甘美なデザインがヒトを魅了するほど優れているのは、お金にモノを言わせたような無駄な飾りではなく、種の存続が第一にある動物の一種としてその美しさに普遍性があるからである。その点で現代人はどうだろうか。

 この書に登場し、顎関節症の専門家を語っているのは口腔外科医師達であるが、看板だけではなく診療科目として口腔外科を抱えているのはある程度規模の大きな総合病院か歯学部付属の大学病院である。一般の開業歯科医院とは経営の違いがあり、口腔外科医師達は何も問題を起こさなければ生き残れるような歯科医療の過当競争から外れた浮き世離れしてお気楽な身分の人間であり、一般の歯科医師を下に見ている感がどうしても否めない。しかし、口腔外科を専門とする彼らには一般歯科の見識が他人を見下せるほどに無いことも、私にははっきりと知れている事だ。
一般歯科では対処できない難症例を扱い、医学を研究する立場の歯科大学教授や、○○学会理事長を筆頭とするこの著者らであるが、

人間はサバイバル本能を欠いて
時間とお金と暇を持て余すようになると
発想は乏しくなり碌な事を考えない

という事が、素晴らしい設備の整った施設でお勤めの高給取りであろう彼らの研究結果の数々から、歯科医療従事者として不当な扱いを受けて生活保護の身の上となった私にはよく分かるものである。
 様々な制約がある中で、その状況を打開して生きるという目的があるからこそ人間は頭を悩ませて考える。そして、いささかも失敗を無駄にせず反省し、そこから画期的な発見を得るのではないか。時代の優れた発明もその発見の結果として生まれただけなのだろう。自分でそうする動機も定かではないのに、都合よく物事を考えてみたところで社会に通じるほど有益な閃きがただの偶然におとずれる訳がない。偶然を前にした瞬間それに気が付く人間がいる。その一方で何度もチャンスが目の前を通り過ぎているのに気が付かない人間がいる。その違いは起こった偶然の基となる原理を理解しているのか否かの違いである。勿論、何も考えないで物事を丸暗記しているだけでは、閃きなど起こりようがない。

 生物の進化も度重なる環境変化の中で単に都合よく順応できたものだけが生き残った、という結果ではないのだろう。環境に適応するということは状況に甘んじるという事ではなく、生きる為に環境へ抗い変化を遂げるという事である。
 しかし、環境を変える術を持ってしまったのが頭でっかちな現代人だ。現代人は都合の良い未来を描いて自分の幸せばかりを考えがちだが、ヒトという動物は自分一代限りで終わるものでもなければその始まりも同じである。思うように生きられなかった悔しい記憶も次の世代に何らかの形で受け継がれるのではないだろうか。先祖の生きていた外界の記憶が進化に反映されることは共生関係にある数々の動物達の存在からも推察できる事である。交配もできない異なる種類の動物がお互いにその存在と習性を情報として知覚していなければならないからだ。

 数十年後、日本人の顔は顎が宇宙人のように細く風船のようにすぼまっている・・・云々。柔らかくて口に運びやすい食べ物ばかりを食べるようになり現代人のアゴが開かなくなったとか、口が小さくなったとか、硬いものを噛まなくなって顎や歯が弱くなったとか、噛めば噛むほど唾液が出て身体にいいから「皆さん、ガムを噛みましょう。」とか、ネットニュースに上がる歯科医療の話題はデタラメな記事ばかりで、いつもメディアのお立ち台に上がる歯科医師達の考えはとても短絡的である。歯科医師からバッシングされるほど散々な記事に対する書き込みがあった際、まともに突っ込みを入れる他の医師がいるのかと思えば、実際の証拠や症例写真が無いとか、症例件数が少ないとか、具体的な数字が無いとか…「違うよ。それは○○だよ。」と野次を入れるだけで、知ったかぶりな彼らの口からは筋の通った話が出てくる様子はまるで無い。
 症例として患者が証拠品扱いされることを百歩下がってよしとしても、その証拠品に触れることが出来るのは○○医師だけである。都合の悪い証拠品をカルテにしまい込むことも、自分で証拠品を選び取り臨床結果をねつ造することも彼らのやりたい放題である。実質的に機能している監督機関のようなものは歯科医療の場に存在せず、顎関節症は専門医師達が体の良い逃げ口上として創り出した定義も原因もあやふやな現代病である
 未知なる病を生み出し患者の苦しみを商売とする彼らの不正を告発できる人間がいるとすれば、歯科医療業界とは別に生活基盤があり、なおかつ矛盾した現代病の定義を読み解くことが可能で、自分の手によりその現象を証拠品として生み出すことの出来る人間である。そして、社会へ働きかけるには何よりも他人の理解を促すことが重要だ。常人が聞きなれない言葉ではなく、視覚に訴える物として証拠を提示できなければ歯科医療被害を社会問題として提起し他人を巻き込むことは難しいだろう。

 仮に不正歯列が進化のタワモノ、あるいは退化の過程であるとして、生える場所の無い上顎前歯を失うか明後日の方向へ歯が生えてしまえば、ヒトは正常な発音が出来なくなる。生える歯の本数が少なくなれば歯列弓(歯の並び)が狭くなり、今度は発音に必要な舌との大きさが合わなくなる。複雑な言語に必要不可欠な数々の子音は口唇と声帯だけで発音出来るものではない。歯と舌がどのように接しているのか、それが子音を発音する上で重要な条件だからである。口を閉じて発音している腹話術師も、口の中ではしきりに舌を動かしているに違いない。

 生きている途中で歯を抜かれて歯列弓が狭まることが遺伝的デザインとしてヒトに組み込まれていない限り、無くなった歯には関係なく舌は元々の成長を遂げてヒト本来の発音は犠牲となることだろう。言葉により仲間とコミュニケーションを取ることがヒトという動物にとってどれほど重要な習性であることか。考えてみれば歯が無くなって得をすることなど何も無いのではないか。皆がテレパシーでも出来るようになってヒトが動物の能力として言葉を捨てるまでの間は、発音の都合上「顎骨」と「歯」と「舌」のバランス関係は、必要不可欠な遺伝情報として親から子へと受け継がれることだろう。問題はその成長や機械的動作の仕組みを阻害する要因が現代に生きるヒトという動物の外界に存在しているという事である。

 生きたままの暴れる獲物に大口開けて食らいつくワイルドな習性をヒトという動物が持っているのかはさておき、先述した滑走運動という顎関節の動きが制限されるだけでもヒトの生活には多くの不具合が生じる。滑走運動に支障がでるような状態であれば大きく開口することに無理が生じるが、単に口を上下に開け閉めすることだけが顎の動作ではないからである。滑走運動が出来なくなるとヒトには次のような支障があらわれる。

・顎を引くことが出来ないので笑顔を作る際
 に表情がこわばる。
・下顎骨が突っかかり首が邪魔をして頭の可
 動範囲が制限され下を向きにくくなり視野
 が狭くなる。
・下を向いた際に下顎が首の前方に逃げるこ
 とが出来ない為、咽が圧迫されて発声・呼
 吸がしにくくなる。
・顎を突き出して液状に滴るものを直接口に
 運べなくなる。
・大きく口を開き怒鳴り声をあげて敵を威嚇
 したり、悲鳴をあげて味方に助けを求める
 ことが出来なくなる。

 また、顎関節症に関連する病態として顎関節脱臼(俗にアゴが外れる症状)がこの書に取り上げられているが、それに直結する動作の原因として滑走運動の障害によりヒトに起こる次の事がある。

・下顎の動作時に顎関節の摩擦抵抗が大きい
 状態で大きく口を開けば抵抗力が抜けた拍
 子でその反力により、下顎骨の下顎頭が側
 頭骨の関節隆起斜面を乗り越えてしまい、
 顎関節に脱臼が生じる。

 口腔外科医師達はあろうことか顎関節症と顎関節脱臼を原因の特定も出来ないまま別の病として振り分けており、高校生参考書の如く診断チャートを作り上げている(それについては何故奴[4-5,6,7,8,9]参照されたし)。インチキデタラメなその内容については後に触れるとして、エリートな医師たちに顎関節症と称される病態の数々も顎関節脱臼も、大元にある原因は全て同じであると私は断言する。

 顎関節に限らず身体の関節に脱臼が生じるのは大きく次の要因がある。

・身体のコントロールや防御が効かない状態
 でとっさに外から大きな力が加わった時
・骨格的に無理のある動作や負荷の大きな動
 作を反復し、損傷が蓄積して身体の支えが
 効かない状態
・外傷、または人為的な治療行為により関節
 の構造が破壊され、関節の機械的な動作に
 障害が著しい場合
・外傷、または人為的な治療行為により筋
 肉・腱が切離・切除され、 関節の動作に
 係る力のバランスを失っている場合
・外傷、または人為的な治療行為により、靭
 帯が切離・切除され、 運動に際して関節構
 造を保持できなくなっている場合
・関節を人工関節に置き換え、設計・技術上
 の不備がある場合

膝関節は可動域が狭く動作する方向はおおむね決まっていて単純な関節のように思える。だが、スポーツ選手で膝の故障は多い。それは関節を動かす筋肉が大きく体重を支えることもあって、膝関節に掛かる負荷がとても強い為である。自分の体重だけでなく、瞬間的に相手の身体も背負う柔道や相撲といった競技において、その負荷はヒトという動物にとって想定外なものだろう。
 一方、肩関節は可動域が広く様々な球技や道具を手にする日常動作からも、複雑な動作が可能であることは誰にでも察しが付く。しかし、関節の可動域を広く保つには骨格による頑丈な支えを犠牲にしなければならない。大腿と骨盤は球体関節のように広い面で骨に囲われているが、肩関節は広い面を筋肉で囲まれていて、その先につながっている腕を半分ぶら下げているようなものである。動作の自由や力加減が利く代わりに骨格による支えが弱い為、もろに外力が加わるプロレス等の格闘技では肩関節に脱臼が生じやすいのだろう。

 では、ヒトの顎関節はどうなのか。物を食べ咀嚼(食物を噛み砕き、すり潰す一連の動作)する際には下顎を上に引き寄せる筋肉(咀嚼筋)が働き、上顎と下顎それぞれの歯の間が閉じる。だが、それだけではカチカチ噛むだけでくるみ割り人形のよう単調に物を押しつぶして粉砕する事はできても、繊維質に富んだ食物を細かく噛みほどくことは出来ない。シカやウマなど草食動物の食べる口の動作を想像してみれば、必ず上下の歯が噛んだ状態になった後で下顎を横にずらしながら顎を開き、再び噛む動作を繰り返すはずだ。
 捕食するという目的において、もともと動物の下顎は斜めに開く設計ではない。動き回る獲物を捕らえるのであれば、垂直的に顎を開いた方が大きな口で効率よく獲物を捕らえることが出来る。動作の仕組みが単調になるほど不具合は起こりにくく、骨格のつくりが単純になるほど身体の強度は増し、その支えがあればこそ付着する筋肉は遺憾無く大きな力を発揮することが出来のである。
 ワニは大口を開け獲物に噛みついて自分の頭を回転させ獲物をねじ切るように引き裂き、咀嚼などせずにそれを丸呑みする。水圧という開口動作の大きな妨げがある海中でもヒゲクジラは大量の海水を大きな口に含み、ヒゲで小さな動物プランクトン等をこしとって捕食することが出来る。それも顎の動作を単純にすることで口の大きさと骨格の強度を得てこそなせる動物の習性である。顎を横に動かして側方運動するワニやクジラをイメージすることがどうしても私には出来ない。それがあり得ない光景だからである。
 しかし、丸呑みして栄養を吸収するには、「口」以降に立派な消化器官を兼ね備えておらねばならず、それ相応に大きな胴を持つことになる。大きな胴を引きずることになれば移動できる環境が限られてしまう。また、捕食効率を良くする為に獲物に合わせて口の形態を変えてしまえば、摂取可能な栄養源がごく限られてしまうし、気候変動等何らかの理由により栄養源として依存していた特定の獲物が激減した場合には捕食出来るものが無くなってしまい種の絶滅にもつながりかねない。

 ヒトという雑食動物は様々なものを栄養源として環境に適応出来るように、顎を横へずらして動かすことで繊維質の多い食物をすり潰せる能力をあえて残したのである。ヒトの下顎の動きに左右の遊びがあり、斜めに口を開け閉め出来るのは決してモノマネ芸人のように顔芸をする為ではない。
 また、現代人が作り出した歯ブラシを使う習性がヒトにあるとは考えられず、舌で口の中を舐めまわして清掃する際にも下顎が斜めに動く利点はあるだろうし、何よりも舌の動きが妨げられると口の中で噛み砕いた食物を転がせないので咀嚼効率が低下してしまう。
 ヒトという雑食動物にとって顎は相手を攻撃する強力な武器というよりも利便性の高い道具なのだが、それ故に骨格構造が脆弱なのである。

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