オタクについて考える
先程文化についてちょこっと書いたけど、今回は「オタク」について真剣に考えてみる。
まず自己紹介で「私はオタクです。」と称することは危険だと思う。
最初に自身をオタクであると規定することによって自分という存在の振れ幅を狭めてしまっているし、そもそもオタクであるということ自体をアイデンティティとするべきではないと私は思う。
言うまでもなく、人というのは多様な側面を持っている。
それは性別、職業、住所などの属性だったり趣味嗜好、送ってきた人生などさまざまだ。
だが最初から「オタクです。」といってしまえば「この人オタクなんだ。」というイメージしか持ってもらえず、個性を発揮する機会が損なわれてしまうと思う。
故に、オタクであるという事は秘匿すべきなのだ。
会話の流れで「〜の映画が好きなんですよ。」とか言う事で少しずつ情報を開示していき、最終的には「この人博識なんだな〜。」くらいのイメージを持ってもらえることがベストだと思う。
現代は昔と違って「オタク」という言葉がカジュアルに使われるようになった為、その分アイデンティティとするには脆弱でもある。
包括的な趣味嗜好の総体としてオタクを名乗るならまだしも、ジャンルを限定してしまえば一つにかかる比重も大きくなる。
特定のジャンルで相対的な見方をすれば、例えば知識量だったり使った金額だったりでオタクとしての「位」が決まってしまい、オタク間での醜い争いさえ勃発しかねない。
だがオタクというのはそんなつまらない世界ではないはずだ。
映画を例にとってみよう。
監督が好き、俳優が好き、音楽が好き、演出が好き、一つの映画でも楽しみ方は千差万別だし、そこに優劣はない。
その映画のオマージュとなった映画や同じ監督の他の映画、似たようなジャンルの映画を観るなど、派生の仕方も人それぞれだ。
そしてこういった営為こそが、その人のオタクとしての「道程」であり人と比べるものじゃない。
今やオタクといえば推し活と等号で結ばれるが、推し活というのはどれだけ金を払ったかでオタクとしての価値が決まってしまう一元的で非常につまらない行為だと私は思う。
まあでも映画とアイドルじゃまるで世界が違うのはわかってる。
そう考えたら今までの文章全部無駄に思えてきたわ。
というかそもそも女のアイドルオタクが「オタク」を名乗るからこんな事態になってるんですよ。
いやだってね、オタクって何回も何回も同じアニメを見たり、映画の例で上記した通りとにかく作品について、作者について掘っていくような偏執的な人間のことをいうんでしょ?
この定義からすればアイドルオタクなんて特定の人間を「推してる」だけのただの一般人じゃん!
いや例えばそのアイドルと同じ事務所のアイドルを調べたり、楽曲を作ってる人を調べたりしてたら別だよ。
でもそんなドルオタがどれだけいるよ!
アイドルオタクってのはオタクじゃないでしょだって。
というかね、「推し活」が最たる例だけど自分がやってる事を正当化しようとしすぎ。
「推しがいるから〜です」とか、「推しの為」とか知らねえよんなもん!!
テメェがやりたくてやってるだけじゃねえか!
言い方は悪いけど、「搾取」に対する言い訳を並べてるだけじゃないの?
もし「推し」に依存してるんだったら辞めちまえよ。
そんなんホストと一緒だよ。
定期的に貢がなければ精神的安寧を確保できないなんて、そりゃもう宗教だよ。
まあお金に余裕があるんだったらいいですけど。
余裕もねぇのに「推し活」なんざするもんじゃねえよ。
そこらへん弁えなきゃオタクじゃねえからな。
ていうかね、女のオタクが幅利かせすぎて男のオタクの肩身が狭いんだよ!!
あんたらがオタクだったら俺たちはなんなんだよ。
陰でコソコソやってる隠遁者ですかコノヤロー。
ちょっと前まで男のオタクは犯罪者扱いだったんだぞ!
それが女は名乗ってすぐ市民権を得やがった。
ちくしょうううう….
なんにせよ俺はな、「推し活」って言葉がいけすかねえんだよ!
貢いだ額で評価される「好き」なんて下らん!!
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