承認欲求について
葬送のフリーレンのアニメを最新話まで見た。
いやーおもろいっすね。
こりゃ売れてるのも納得納得。
最初は雰囲気アニメというか、お話や世界観を重視しているアニメかと思ってたんだけど(勿論そういうアニメも素晴らしいよね)、バトルもなかなか面白い。
てか魔力ってほぼハンターハンターの念だね。
魔力の放出量を抑える訓練をしているシーンとか、念でいうところの「練」にしか見えなかった。
「魔族は言葉で欺く、代わりに魔法使いは魔法で欺く」ここら辺の設定が非常に興味深いと思った。
しかし、フリーレンは1000年以上生きてるってことで魔力の総量でいえば敵う存在がいないと思うんだけど、これってチートじゃないのかな。
魔法を使う者同士の戦闘って魔力量がものを言う気がするのだが、フリーレンより魔力量が多い敵って存在するのかしら。
そこら辺は、どれだけ策を弄するかで戦闘の面白さは変わってくるだろう。
ハンターハンターも単純な念の総量だけじゃなく、頭脳戦で勝敗が決するところが面白い点の一つだからね。
まあでも七崩賢ってのはどれもチート級の能力を持っているらしいから、今後フリーレンとその一行がどう戦っていくのか、とても楽しみでございますな。
この作品は人間が基本的に善人しか出てこないよね。
それとは対照的に魔族が純然たる悪として描かれているから、これからは魔族をぶっ殺しまくる旅になるんですかねぇ。
あるいはエルフ同士の戦いになったりして、、、
なんにせよ私はこのアニメの世界観が好きだし、何よりキャラがいい。
フェルンちゃん大好き。
もうフェルンちゃんを見れるだけで仮に作品自体がおもんなくても観る価値がある。
しかしシュタルクの野郎、フェルンちゃんと二人でいる時間多いぞ…。
羨ましいぞこの野郎…!
まあ私シュタルクの事も好きなんですけどね。
ハンバーグの話はちょっと泣いちゃった…。
来年の誕生日はでっかいハンバーグ食べたいなー。
え?
お前は頑張ってないからダメだって?
そんなつれない事言うなよ〜…。
話は変わって、小川哲先生の「君が手にするはずだった黄金について」と言う本を読んだ。
この本は「承認欲求」がテーマで、承認欲求に振り回される人々の話がいくつか載っている。
本の内容は書かないが、やはり承認欲求は現代における根深い問題だと思った。
何故我々はこんなにも認められたいのだろうか?
それも身近な人ではない、不特定多数の人間に。
確かに私も認められたい、褒められたいと言う気持ちはある。
貶されるよりは褒められた方がいいに決まってる。
だが「SNSでバズりたい」と言う気持ちは一切ない。
だってさぁ、SNSにいる人間なんてしょうもないのばっかじゃん。
SNSでちょっとバズってさぁ、知らん連中に褒めそやされたりしてさぁ、卑小な自尊心を満たしてもなんの意味もないじゃん。
しかもポストがバズると馬鹿な人間、人の中でも特に馬鹿な連中に見つかって炎上させられたりするじゃん。
そんな毀誉褒貶に一喜一憂して、疲れないか?
もうやめましょうよ!
心がもったいない!
いいねやフォロワーとかいうものは全て虚構である。
そんなものでは何も満たされない。
SNSに居場所を求めれば、いずれは秋葉原連続殺傷事件の犯人のようになりかねない。
それだけインターネットと言うのは不安定な場所なんだ。
今のSNSには心と想像力が絶望的に欠損していると私は思う。
もう何も言えない。
馬鹿に監視され、馬鹿に石を投げつけられ、馬鹿に放火されるから。
現実よりもよっぽど無法地帯。
マジでSNSの炎上って意味ないよね。
いやマジで。
炎上していることの99%は下らない事柄だし、炎上したところで社会の何がよくなるわけでもない。
全くの無駄。
何を言っても批判ばっか。
もううんざりだ。
あとSNSというのはSNSしかないのが問題だと思う。
どういうことかと言うと、現実だと例えば学生
クラス、部活、塾、バイト、家族、友人、恋人など様々なコミュニティがある。
どこかのコミュニティでうまくいかなくなっても他のコミュニティに行けば仲良い人がいるよね。
でもSNSだとSNSしかないから逃げられない。
つまりペルソナが使えないってことなんだよね。
人というのは様々な考えや価値観、立場を持っているのにSNSではSNS上のペルソナでしかいることができない。
ここにある種の窮屈感があるのだと思う。(まあ裏垢とか作れば他のペルソナも使えるけど、面倒臭いよね)
だからさ、できるだけ色んな居場所を作っておくのが大事だと思うんだ。
仮にできなくても、無理して作らない。
無理して作ろうとすると絶対ボロが出るからね。
そして最後に一番大事なこと。
それは他の誰かからの承認ではなく、自分が自分を承認する事。
自分で自分を肯定できなければ、他人に何を言われても虚しいだけだ。
現代人は自分で自分を肯定する事を軽視しすぎ。
何かと批判されがちな現代に生きていれば自己肯定感が下がるのも無理はない。
しかし!!
承認を他人に委ねては不確実すぎる事も否めない。
ならばいっそ、自分で自分を承認してしまえば承認欲求をめぐり懊悩する必要もあるまい。
人の意見など気にしない、人の目などどうでもいいという傲岸不遜とも言える胆力が、時には必要なのだ。
でなければこの病理は、永遠に完治不能であろう。
以上が私の承認欲求に対する私見である。
承認?
そんなもの自分ですればいい!!
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